藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今までにない道。


さて自分たちの世代。(1965〜)
20世紀の終わり。
日本は高度成長期の終わり。
ある意味、「最も物質的に豊かになった時代」であったと思う。
しかも「大戦争」はすでに終わっていて知らない。戦後たった20年しか経っていないのに。

それから、いわゆる先進国の競争はあるものの、そして新興国の台頭はあるものの、「かつてない豊かさ」はキープされている。
発展途上にいる国の人たちの価値観はさておき、先進国と言われる人たちの「幸せの定義」はどうだろうか。

欧州諸国、とくに歴史的に安定している地域には、そうした「幸せのメジャー」が確立しているようである。
日本も、今世紀に入り、地域を問わず、「生活の豊かさ」を考える傾向が強まっているように思う。
何気ないようでいて、80年代のバブル期の熱気からすればずい分違う。
いよいよ、日本も戦後70年を迎えつつ、「成熟国」になってゆくような気がする。
これは、諸々の諸事情があったにせよ、ずい分早く成熟を迎えているのではないかとも思う。
敗戦は、そうした早熟を日本にもたらしたし、さらにその先の価値観へも急いでいるのが今ではないだろうか。

これまでに日本人が感じたことのない環境で、初めての経験をしているのだとすれば、やれこれまでの価値観がおかしいとか、これからの見通しが立たない、と右往左往するのも無理もない。

復興、経済発展一直線だったまっすぐな道が見えなくなっているだけのことである。

どんな青春があり、職業があり、中年があり、老後があるかというのは今の自分たち世代(50)以下が自分たちで考えて定義していく問題なのに違いない。
既存の軌跡に正解はもう見つからないのだと腹を決めて、自分の行く先は考えなきゃな、と思うのである。