藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

結局の価値観。


寸鉄人を刺す。
この年になり「理論値」ではない「人間五十年」をリアルに生きてきた人たちと話をする。
そこには、二十代、三十代のどんな鋭い理論よりも確かな、そしてどこか土臭い人生経験がある。

実に、様々な生きざまがある。
もう、それは自分が見知る範囲でも、商売人から、公務員、教師、ボランティア、大企業社員、政治家、詐欺師、テキヤ、ヤクザ、警官、公務員、検事、弁護士、判事、経営者。
色んな人がいる。

これこそ社会。
そして、自分を含め、自分の知見のある「あらゆる人たちの生きざま」について、"ある一定の総括"を求めざるを得ない。

『つまり、あなたにとって人生とは何だった?』という根源的な問いである。

思えば、みなこの世に生まれ落ち、幼少教育を経て、中学辺りからはそれぞれ別の道に分かれ出し、高学歴へと進むもの、商売や資格に走るもの、と段々分れて、五十年も経てば、見た目にはずい分と違った人生の経験者になっている。

そうした自分たちの生きざまを総括するような話題をしていると、皆驚くほど「他人には話していない」ということが話題になった。
あまり(特にエリートは)多くを語りたくない、という人も多いが、「あなたの人生のとって重要な価値観は何だったか」
ということは、後進の人たちには重要な情報ではないだろうか。

ともかく、「自分たちの夢中になっていたこと」なのである。
自分の本気を、後輩にはぜひ伝えておいたほうがよいと思うのである。
(つづく)