藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

いつだって閉塞してる。

自分にはまだ経営の巧拙というのははっきりとは分からないが、アマゾンのベゾスというリーダーが名門メディアを買収したその後は順調のようである。

メディアは産業革命以降、もっとも力を持ち、けれど自身ではもっとも変化してこなかった存在だと思う。

そんなメディアもITの波に揺さぶられている。

 ――最終的にはどんな収益モデルを目指しているのでしょうか。
 「まだ模索している段階だ。いま取り組んでいる様々な実験の中には、新しいビジネスモデルを探るためのものもあるが、その先に答えがあるのかすらもわからない」

小さな商売人も、巨大企業も、メディアもサービス業も、まだ結局戸惑っている最中みたいだ。
ITの波がまだ一巡せず、むしろ加速して普及してる段階だからモノ作りか、情報か、エンタメか、サービスか、それともそれ以外の何かか?と皆が揺さぶられながら考えている最中なのだと思う。
自分もそんな渦中にいる。

結果的に成功している人というのは、そんなカオスの中でも何か感じた手ごたえを見逃さずに拾い、"実際に試してみた人"なのに違いない。
多分小さな失敗は数多くしているはず。
けど「失敗を恐れて固まるな」というのはもう世界共通の成功のルールなのに、実際にいろいろと「失敗をしに出かける」というのは、寒い戸外に出るようでついつい控えてしまうのだと思う。
だって失敗のない暖かな室内でいる分には、急にはつまづくことがないからだ。

普段はもう防衛本能は仕舞ってしまって、色んな人の話を聞いたり、何かを始めてみるんだ、というくらいの"気持ちの移動"が必要なのだろう。

分からないこと、できなさそうなことに近づこう。

「ベゾス氏、変革を加速」米ワシントン・ポスト編集主幹
米メディアの波頭2015/12/23 3:30日本経済新聞 電子版
 米アマゾン・ドット・コムの創業者、ジェフ・ベゾス氏による買収は、米名門紙ワシントン・ポストにどんな変化をもたらしたのか。2013年1月から編集主幹を務めるマーティン・バロン氏に聞いた。(聞き手はシリコンバレー=小川義也)

マーティン・バロン(Martin Baron) 1976年米リーハイ大卒、マイアミ・ヘラルド入社。ロサンゼルス・タイムズ、ニューヨーク・タイムズなどを経て、2001年にボストン・グローブ編集主幹に就任。11年半の在任期間中、同紙は6つのピュリツァー賞を受賞する。ボストンのカトリック教会を舞台とした児童への性的虐待の実態を明らかにした同紙の調査報道チーム「スポットライト」の活躍は今年、同名の映画になった。13年1月から現職。フロリダ州出身、61歳。


 ――ベゾス氏がワシントン・ポストを買収すると聞いたとき、最初に何を思いましたか。
 「とても驚いた。私は(買収発表の)半年ほど前にワシントン・ポストに移籍したばかりだったのでショックだった。(前社主の)ドン・グラハムはワシントン・ポストを決して手放さないだろうと思っていたからだ。同時に、ワシントン・ポストにとっては良いことだろうと思った。成長志向で、新しいアイデアを持ち、それを実現できる資金力を持つ人間が、事業を縮小させるためにわざわざ買うはずはない。自分は新体制で必要とされるだろうかという不安も頭をよぎったが、こればかりは自分ではどうしようもないので、それ以上考えるのはやめた」
 ――ベゾス氏がオーナーになって会社はどう変わりましたか。
 「来る前から会社は変わり始めていたが、ベゾスが来たことで変革が加速した。1つは戦略。それまでの会社の基本戦略は『ワシントンのことを、ワシントンのために』だった。ワシントンは米国の首都であり、世界の主要な都市の一つであり、大きなニュースが生まれる場所だが、地理的には狭い。ベゾスは全米、そして世界を目指す成長戦略を我々に求めた。全国紙になるにはどうすればいいか。どうやって成長を加速できるか。それが我々のゴールになった。これは大きな変化だった」
 「2つ目はアイデアだ。門外漢の彼は我々が聞いたこともないような新鮮なアイデアを持ち込んだ。同時に我々のアイデアにもオープンに耳を傾けた」
 「3つ目は、とても重要なことだが、そうしたアイデアを試すために必要な資金を用意した。紙からデジタルに移行する過程で、何がうまくいき、何がうまくいかないか、どうすればうまくできるかを学ぶための『助走期間』を与えてくれた」

 ――ベゾス氏はつきあいにくいという人もいますが、一緒に働いてみてどうですか。
 「ほかの人はわからないが、私は特に問題はない。お互いプロフェッショナルとして正直かつ率直に話ができている。要求するレベルが高く、時には挑発的なことも言ってくるが、いい意味で刺激を受けている」



 ――ベゾス氏が編集に介入したことはありますか。
 「1度もない。これまで彼が関与した記事は1本もないし、何を書くべきかを指示してきたこともない。書いた記事について、口を挟んだこともない。我々が報道機関としてやっていることについては、一切介入していない」
 「モバイルアプリの開発など編集局の新しい取り組みには関わったが、それを除けば、彼の関心はワシントン・ポストの事業戦略や戦術がすべてと言っていい」
 ――ベゾス氏抜きでワシントン・ポストはここまで変われたと思いますか。
 「無理だったと思う。実際、ドン・グラハムはアイデアがほぼ尽きたと公言していた。上場会社のままでは、買収後に実施してきた投資もできなかったし、いま我々が取り組んでいる新しいアイデアも生まれなかっただろう。ワシントン・ポストには輝かしい歴史があり、その業績を否定するつもりはまったくない。だが、ドン自身が言っていたように新しいアイデアと資金を持った誰かにバトンを渡すタイミングだったのだと思う」
 ――新社屋に移って編集局も様変わりしました。
 「これが未来のニュースルームだ。新社屋は偉大なる過去の業績に敬意を表しつつ、未来に向かってどんな姿を目指すかというわれわれの思いが込められている。編集局にはソフトウエアエンジニアやデザイナー、映像カメラマンをあちらこちらに配置し、記者や編集者と一緒に効率よく仕事ができるようにデザインした。記者とエンジニアが物理的に近くにいることで、連携が促進されることを期待している」
 「我々がストーリーを伝えるとき、いまは動画やグラフィックやデータやソーシャルメディアなどたくさんのツールを使う。つまり、映像カメラマンやデータをビジュアルに見せる専門家、ソーシャルメディアの専門家などの力が必要だ。記者が1人で取材して記事を書いておしまい、という時代は終わった」

 ――最近の講演で、ジャーナリストとしての40年近いキャリアの中で、いまが最もエキサイティングで、かつ最も不安だと語っています。
 「不安の要因はいくつかある。収益面のプレッシャー。終わりのみえない競争。ベンチャーキャピタルが支援するスタートアップからグーグル、フェイスブックツイッターまであらゆるところに競争相手がいる。そして追いつくのが難しいほどの変化の速さだ」

ワシントン・ポストの新社屋

 「エキサイティングなのは、これまでは考えられなかったほど多くの人々に我々の記事を届けることができるということ。そして紙の新聞では不可能だったほどの大きなインパクトを瞬時に与えることができる点だ。ニュースの伝え方もこれまでは不可能だった方法が可能になった。動画やインタラクティブなグラフィックはその例だ。これまで以上に多面的に伝えることができるのは本当にエキサイティングだ。この業界に何十年もいる人間ですら、一から再出発するような体験ができるのだから」
 ――最終的にはどんな収益モデルを目指しているのでしょうか。
 「まだ模索している段階だ。いま取り組んでいる様々な実験の中には、新しいビジネスモデルを探るためのものもあるが、その先に答えがあるのかすらもわからない」
 「新聞社によってもモデルは違うと思う。ワシントン・ポストにとって持続可能なビジネスモデルはボストン・グローブやマイアミ・ヘラルドとはおそらく違うものになるだろうし、ウォール・ストリート・ジャーナルやフィナンシャル・タイムズのようなより特化した新聞とも違うはずだ」
 ――ワシントン・ポストは「テクノロジー企業」になったといえますか。
 「イエス。我々は最先端のテクノロジーを理解し、身につけ、新しいものを生みだし、速やかに実行に移さなければならない。もちろん、我々は報道機関であり、そのことは忘れてはいない。報道こそ我々の使命であり、中核だ。よく取材し、よく書かれた記事がなければ、我々に価値はない。優れたジャーナリズムとテクノロジーの組み合わせこそが成功をもたらす」