藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最終コーナー。


学生時代の感覚はともかく。
社会に出てあっという間に30年。
時間を意識するのは本当に難しい。
けれど気付いてみればもう「残り時間を数える方」がよほど近い年齢だ。
人生の寿命もそうだし、社会人としてもせいぜいあと10年で定年だという事実。(虚)

社会人としての四分の三が経ってしまったので、真面目に残りの過ごし方を考えねばならないとリアルにおののく52歳。(汗)
社会人の期間がおよそ40年ほどだとして、予め10年ごとの四つとか、5年ごとの八つとかに割って自分の軌跡とか、これからのことを考えてみてはどうだろうか。
四つ〜八つくらいの区切りは決して多いとは言えないから、その区切りごとに(これから)したいこととか、(これまでは)出来なかったことを考える。

自分の場合は最後の最終コーナー的なラスト四分の一だから、改めてその過ごし方については真面目にならざるを得ない感がある。
だったら最初から考えろよ、と思うが走り出した頃は「全体の中のどの辺り?」なんて考える余裕はなかった。
最終コーナーでゴールが見えればこその感覚である。

日常で言えば、仕事も趣味も個人的なことも、相変わらずやりたいことは沢山あるようだけれど、実際に手がけることができるのはそう多くはない。
チャレンジしたいこととか、読みたい本とか、学びたいこととかについて、ようやく「絞り込み」ということが必要だという実感が湧いてきた。
糸井さんの言う「しないこと」と「絶対にしなきゃ」ということを篩(ふるい)にかけるのが今年の一番の目標になりそうだ。
年を取るってこんな感じなのか。

・まず、いちばん大事なことは、
 「なにをして、なにをしないか」ということを、
 時間をかけずに決められることです。
 
 とにかく、いちばん限られているのは時間です。
 1冊の本を読むには、かなりの時間がかかります。
 ひとつの映画試写を観るためにも、
 会場への往復を入れて3時間以上かかります。
 しかも、読みたくないのでもなく観たくないのでもない
 興味のある本や映画は、かなりたくさんあります。
 じぶんで買っても読んでない本や、
 観てないままのDVDが、これまたたくさんあります。
 
 仕事についても、ものすごくいろんな要請があります。
 これは無理だな、とすぐにわかるものもあるし、
 やったら大変なことになるのが目に見えているものも、
 同じことのくりかえしになりそうなことも混じってます。
 そういうなかに、「それはやりたい」と思うような
 依頼内容があるんですよね。
 
 さらに、いわば義理やつきあいのからんだ用件ね。
 これも、なかに、
 こちらからお願いしたいと思うようなことが、
 しっかり混じっているから悩ましいんですよね。
 
 というようなことを、ぶつぶつと言ってても、
 堂々巡りのような考えをもてあそんでいても、
 なーんにもいいことはないんですよね。
 「なにをして、なにをしないか」を速く決めてしまう。
 そして、「やればよかった」とか「やらなきゃよかった」
 という「結果からの反省」をしないこと。
 次々に起こったことは泣いても笑っても事実なんだから、
 いつでもその場所からスタートするしかないですもんね。
 
 というようなことを、じぶんをも含めて、
 無数の「あれこれ考える善人共諸君」に教えてやりたい。
 優しかろうが良心的だろうがさんざん悩もうが、
 お断りはお断りだし、やりますはやりますなんですから。
 でもね、会社のなかからの依頼や頼みごとは、
 とても前向きに引き受けようとしてます(キリッ!)。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「買わなかった宝くじの当たり番号に嫉妬する男」もいる。