藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分と活字の関係。

少なくとも社会人になってから、週に一冊くらいは読書していたので、52週×30年としてざっと1500冊。
週刊誌も入れると5千冊くらいは何かしらを読んできた。(漫画を入れるともっとあるけど)

そうしたものを読んできて「自分」というのができている。
もう少し言えば、家族とか友人とか、学校とかの対人関係で「今の自分」が形成されている。

多分、ガラスケースの中で食べ物だけを与えられて培養されていれば、今のような自分では無いだろう。

結局自分というのは「自分ものもの」プラス「外部刺激」の産物なのだ。

そもそもの「自分の資質」については変えようが無いけれど、無垢の自分に「これからどのような刺激を与えるか」で出来上がりは変わってくるに違い無い。

もう少し冷静に自分を見て、「そろそろこういう刺激をしてみるか」とか「ここらでちょっとショックを与えてみるか」なんて考えてみれば面白い。
年を取ってもまだまだ未経験のこととか、新しい可能性を秘めていることはいくらでもある。

毎日を普通に過ごしていると「自分というアメーバに刺激を与える」みたいな気分にはならないけれど、ちょっとそんな自分に変化をつけてはどうだろうか。
案外色々とやれそうなことがあるのではないだろうか。