藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

物欲の本性。

お金を「貯めること自身」が目的になってはおしまいさ、と言う先輩がいた。
また「お金は"あの世"に持っていけないものの代表だよ」という人もいる。

金蔵の中で小判を数えて独り死んでゆく、というのは一見つまらなそうだけれど、それはそれで「金に埋もれて逝く」という経験が本人の希望なら幸せなことかもしれない。

一方。

世界の矢沢永吉でも「今でも安定が欲しい」というのを聞いたことがある。
(ビッグになってもこういうことをスパスパ言うのはかっこいい。)

いつ路頭に迷うかもしれない緊張感とともに日々のパフォーマンスをするミュージシャンならではの一言だが、「飢えないための所有」というのも一方では確かにある。

自分たちは、幼時には親に養われたり、義務教育を受けたり、自分でアルバイトをしたり、社会で働いたり、ボランティアをしたり寄付をしたり、介護の世話になったり「施され、時には施し」を繰り返してゆく。
結局。

「所有」は「思い通りの時間を過ごすため」にある。
また別に、所有は「絶体絶命にならないための蓄え」にもある。

ということだろうか。

飢える、というのは生物にとっては最大の恐怖だと思うけれど、それを除けば「自分たちは死ぬまでの時間の過ごし方」を目的に生きている、と言えそうな気がする。
そのために「所有」が必要ならそれに向けて努力もする。
けれどその所有が「自己目的化」することには十分注意しなければ、と思う。

自分の趣味を人に話せるようにしたいものだ。