もういよいよ、個人でも業界レベルでも「データの集積が当たり前」の時代になってきた。
ビッグデータの将来も未知数的にすごそうだが、ちょっと控えめに「自分のデータの集約」もちょっとした革命だと思う。
例えばプラモデルとかカードとか、昆虫採集とかカーコレクションとか。
卑近なところでは写真とか記事のスクラップとか。もちろん蔵書も。(ところで自分たちは携帯の写メでなぜあんなにも何でも撮るのだろうか。特に後日利用しないのに。)
一生を生きていく中で、相当な量の「データを集める」ということをしている。
これまでは「紙」とか「カセット」とか「CD/DVD」とかに分散していたものが、とうとう「一気にクラウド」になろうとしている。
ここまで、しかも「個人のローカルでない場所」に集約が進んだのは初めてのことに違いない。
昔は祖父の残したノート、とかが唯一の経験的な遺産だったけれど、これからは「丸ごとクラウドで遺る時代」になる。
生い立ちの記録から、学生時代の軌跡、社会人になっての経験とか、それらにまつわる「映像、データ、写真、音声、テキスト…」あらゆる生活の記録とか人生の軌跡が「クラウドの継承」でごく簡単になりそうだ。
だからいろんなノウハウとか知恵とかも後世に残していけるだろう。
あと十世代もあとの人たちは、膨大に残された先祖の記録をまず見るだけでも大変な作業になりそうだ。
残す側の自分たちも、「金を残すのではない何か」について改めて考えてみる時代になってきたように思う。
後世に遺せるものは何だろうか。