藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

物欲の意味。

所有とか物欲とよく言うけれど「そもそも何で欲しいの?」ということが議論されることはあまりないのじゃないだろうか。
ブランド品が欲しい、というのはまあ「派手な格好を周囲に見てもらいたい」とか「見せたい」というようなことの自己表現だろうし。
「いい釣竿が欲しい」というのは、多分より狙った魚を釣り上げたい、ということが願いだろう。
いい車が欲しい、というのはドライブしてよりスピード感のある経験を欲しているとか、「別荘を持ちたい」というのは自分の持つ家で「寛いだひと時を過ごす」というようなことがしたいのだろうと思う。

つまり「何々が欲しい」ということには必ず目的があるはずだ。(と今気づいた)

所有するってことはつまり

「そのもの自身を(理由はともかく)所有し、支配したい」ということと
そのものを所有することによって「満足できる時間を過ごしたい」ということに分かれるのだろうか。

でも。
でも「所有し、支配する」ってことも「そうしていると感じる自分の時間」が目的なのじゃなかろうか。

つまりやっぱり「自分が思う時間を過ごすための所有欲」と言うことになる。

だから人によって「所有したいもの」はずい分違う。
キラキラのアクセサリーや広い別荘がほしい人もいるけれど、小さな家庭菜園と生豆の美味しいコーヒーと読書で満ち足りる人もいる。

物欲だけに限らないところが重要だ。
自分たちは、究極的には「物」が欲しいわけではないらしい。
「物より思い出」というキャッチコピーを作ったライターは素晴らしい。
(続く)