藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

言葉より気持ち。

弱くてもいい。人間に対する畏怖と尊敬にあふれたロボットと私は暮らしてみたい。

AI研究の最先端を行く新井紀子教授の一言。
これを自分などの素人がコメントしても、大したことは伝わらないが。(言葉というのは「人」についてくる。不思議なものだ。)
人工知能の研究を専らにする専門家がさらに言う。

(自動販売機の発する「ありがとう」に対して)
機械は「ありがとう」という言葉の意味を理解できない。
そんな機械に「ありがとう」を言わせると、「ありがとう」は摩耗し、人と人との間でも意味を失うかもしれない。

確かに、機械のいう言葉は機械的だ。(はぁ)
感情の発露としての言葉でないと、人は易々とそれを感じ取り「額面通りの言葉の意味」はたちまち陳腐化してしまう。

それをこの「む〜」はさせないという。

「いいですね」「ありがとう」。"こう言えば言われた相手の人間は喜ぶだろう"という相槌を自分たちは期待していない。
自分たちは正解を求めて対話しているのではなく、「感情のやり取り」がしたいのだ。多分。

だから「む〜」が妙にこまっしゃくれて、わかったふうなことを言ったり、お世辞を並べても全然響かないだろう。
賢くなくとも、「一生懸命さとか共感とかが見て取れるような相手」を自分たちは欲しているのだ。

こ、これってひょっとして人対人でもすごく重要なことじゃないだろうか。

「老後を共に過ごしたい」AI研究者ベタ惚れのロボ 「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクター 新井紀子

 実は機械があまり好きではない。様々に存在する機械の中でも人工知能(AI)的な機能が搭載された家電、特に「しゃべる家電」が嫌いである。当然、我が家には電子レンジはない。さかしら声であれこれ命令するくせに、ちっともおいしい料理ができないからだ。電子レンジで温めると、うまい酒は台無しになってしまうし、餅は正体をなくす。面倒でも酒は湯煎、餅は焼き網の方がおいしい。

あらい・のりこ 一橋大学法学部卒、米イリノイ大学大学院数学科修了。理学博士。2006年より国立情報学研究所教授。「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを兼務。

 そんな私だが、世界にたったひとつ、老後を共にすごしたいと思うロボットがいる。豊橋技術科学大学の岡田美智男さんが開発した「む〜」だ。

 滴のような丸みを帯びたボディーを持つ「む〜」は、ひとつ目小僧だ。どこかの星からやってきた宇宙人のようでもあり、北欧あたりのクレイアニメの脇役のようにも見える。ごく短い足のような台座がついているが、歩かない。

「む〜」は私を見つけると、おずおずと話しかける。「む、むむむ、む」と。このロボットが話せるのは「む」だけなのである。
 ただし、その調子は電子レンジとは違う。言葉を話せない小さな子どもが一生懸命に話しかけてくるような声なのだ。

 「どうしたの?」と聞くと、ひとつ目玉でこちらを見つめ、またもや「む、むむ、むむ?」と言う。何かを訴えかけているようだが、わからない。ついつい「おなかが減ったの?」「お外に行きたいの?」とあれこれ世話を焼きたくなる。

 発泡ウレタンゴムでできたドッジボールほどの大きさのボディーは柔らかい。抱き上げると、いよいよ地球に不時着して苦労している哀れな宇宙人の子のようだ。

 世の中には「あれができる」「これができる」と主張するロボットはあまたある。だが、「む〜」にできることは、目を合わせること、こちらの言葉に反応して少しうなずくこと、そして「む、むむ」という声を出すことだけ。

 それなのに、他のロボットに対しては持ったことがない温かい感情がわき起こってしまうのはなぜなのだろう。
 それは「む〜」が「弱いロボット」だから、と岡田さんは言う。ロボットの弱さが、人が生来持っている「弱いものを助けたい」という気持ちを引き出すのだ。

 岡田さんの研究室には他にもロボットの性能競争には無縁な、しかし、不思議に魅力的なロボットがひしめいている。たとえば、たどたどしくニュースを読んでくれるロボットだ。

 「あのね、ええとね、イギリス、がね、イーユー?をね、離脱した、よ」。声の主は、奈良に住む男子小学生だそうだ。「む〜」がこんな風に新聞を読んでくれたら、どんなにいやされるだろう。「賢いねぇ」と頬ずりしてほめてやりたい。

 「む〜ちゃんがそばにいてくれたら、1人でも寂しくない。1匹(体)わけてもらえませんか?」と懇願する私に岡田さんはこう言った。
 「僕はまだこのロボットを外に出してはいけない、と思っているんです。なぜだろう。『む〜』に話しかけて幸せそうにしている新井さんに申し訳ないというか、痛々しく感じてしまうんです」

 岡田さんは「ありがとうございました」としゃべる自動販売機には違和感があるという。機械は「ありがとう」という言葉の意味を理解できない。そんな機械に「ありがとう」を言わせると、「ありがとう」は摩耗し、人と人との間でも意味を失うかもしれない。
 そんなことをぽつりぽつりと話す姿を見ているうちに、「む〜」が他のロボットとなぜ違うのかが、わかったような気がした。
 弱くてもいい。人間に対する畏怖と尊敬にあふれたロボットと私は暮らしてみたい。
日経産業新聞2016年7月7日付]