藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ついに自我を克服する。

ITの最新技術がゲームや映画やおもちゃや家電に利用されるニュースを聞くたびに。
冷蔵庫がしゃべって本当に役に立つのか?
家の外からエアコンや照明を付けるのがそんなに必要か?
というおじさん感情が常にあった。

VRなんて遊びでしかないと思っていたが、驚いた。
実際に「第三者になってみる」というためには極めて有効なツールになりそうだ。
こればっかりは人間の「自我」を超越する存在になるのではないだろうか。

例えば介護の世界ではよく「高齢者の感覚」と「介護する人の感覚」のズレが指摘されているが、なかなか実感できている人は少ない。
ある施設では「介護される人のリアリティ」を演出するために、体をテープで拘束し、オムツを付けて疑似体験しているところもあるくらいだ。
こういうことがVRなら一発で出来る。

「目と耳」から入ってくる情報をコントロールできれば、人は他人にもなれそうだ。

だからVRを使って高齢者の立場になってみたり、
患者の立場になってみたり、
生徒の立場になってみたり、
妻(夫)のたちばになってみたり、
いじめられてみたり、
劣等感を持ってみたり、
政治家になってみたり、
極貧になってみたり、
これまでは「相手の立場」という最高に難しかったことへの感情移入に使える。

意中の"あのコ"の立場にだってなれるかもしれない。
VR宇宙旅行を模したりするのではなく、人と人の関係改善に最も役に立つのではないだろうか。

認知症の人の世界」ってどんなところ? バーチャルリアリティーで体験すると…
認知症介護あるある〜岡崎家の場合〜
 認知症になってしまった父さんから見た世界を体験できるバーチャルリアリティーVR)がある――。そんな情報を小耳に挟んだ私は、「なにソレ、気になるーっ!!」と、そのVRを体験できるというセミナーに早速、申し込んだのです。そして、ある秋晴れの日、東京都江東区で開かれたセミナーに参加してきました。


漫画・日野あかね
わかっちゃいるけど…耳が痛かった「おだやか介護」
 その名も「目からウロコの認知症セミナー」。一般の方から専門職まで、認知症介護に関する研修を行っている日本高齢者アタッチメント協会の主催です。同協会の林炎子(もえこ)代表を講師に、VRだけでなく、「そもそも、認知症って?」といった基礎知識や、認知症の人とどう向き合うかなどを約3時間かけてじっくり学びます。

林さんがまずモニターに映し出したのは「どんより介護からおだやか介護へ」というメッセージでした。「どんより介護」とは、認知症の人の言動に戸惑い、うまく介護できずに疲れ果ててしまう状態のこと。そこから抜け出すために、認知症について学び、認知症の人の心の中を理解することで、介護が楽になり、介護する側もされる側も笑顔でいられる「おだやか介護」を目指そうというのです。

この対照的な二つの状態は、すでに身近な人が認知症になり、介護している私にとっては、いわば「現実と理想」。「おだやか介護」という言葉は、わかっちゃいるけど難しい、耳が痛いメッセージでした。
頭の中で起きていること
 林さんの講義では、ものの名前がわからなくなったり、新しいことを覚えられなくなってこれまでの記憶も失っていったり、考える・想像する能力が低下したり……といった認知症の症状について、なぜそうなるのかを解説します。認知症の人の頭の中でどういうことが起きているのか、身近なものやできごとを例として説明してくれるので、感覚的に理解することができます。

私は父さんの介護歴が長いためか、はじめのうちは介護者側の視点でものを考えていたのですが、林さんがさまざまな切り口で提示する「認知症の人の世界」を学んでいくうちに、いつの間にか「記憶がなくなっていくって、不安だわ……」などと、認知症の人側の視点が加わっていることに驚きました。

おばあちゃんになって何かわからないものを探す
 そして、いよいよVR体験の時間です。独自に開発された「認知症の人がいる世界」の映像を各自のスマートフォンにダウンロードして、それを装着したゴーグルと、イヤホンを着けて疑似体験のスタートです。

認知症になった75歳くらいのおばあちゃんの視点になる、3編のVRプログラムが用意されていました。まず最初は、「ものの名前がわからなくなる」という体験です。

自分はリビングのソファに座ってテレビを見ています。すると、すぐ目の前のキッチンにいる娘(林さんが演じています)が大きな声で「サモキを取って!」と言うのです。でも、「サモキ」という言葉の意味がわかりません。それでも娘は「取って!」と言い続けます。

「サモキ」を探してあちこち見渡すと、上下左右、本当にその部屋の中にいるように、自分が首を動かした方向に視界が変わっていきます。そうやって部屋の隅から隅まで見ることができるのですが、「サモキ」らしいものは見つかりません。耳からは、娘が「早く!」とせかす声が聞こえます。「もしかして、わからないの!?」と、厳しいことも言ってきます。

向こう(娘)が当たり前にわかっている様子なのに、自分がわからないことに焦ってきます。せかされたり、バカにされたようなことを言われて、イライラもしてきました。
実は知らない言葉だった…これが認知症の感覚?
 映像が終わり、ゴーグルとイヤホンを取ったところで明かされるのが、実は「サモキ」というのは林さんの造語だということ。そりゃ、私たちが「サモキ」を部屋の中から見つけることができないはずです。でも、認知症になり、いろいろな言葉が記憶からこぼれ落ちていってしまったら、同じような感覚になるのでしょう。それをかなりリアルに体験できました。

この後、ものの概念を失った感覚を知るため、目の前にあるものがどの角度から眺めても何なのかわからない……という体験などをしていきました。
辛辣? コレ、いつもの私ですが…
 このセミナーのことを教えてくれた知人が、「娘がとにかく感じ悪い」のが見どころ(?!)と力説していたので、一体どんな強烈な人が出てくるのかと、怖いもの見たさ的にドキドキしながら「認知症の人の世界」に入っていきました。

ですが、目の前に現れたのは、私が父さんに対して、まったく穏やかでない介護をしているときの「認知症介護あるある」な光景でした。そして、知人が「一切、容赦がない」と、恐ろしそうに語っていた娘の対応は「はい、コレいつもの私です!」なレベルです(いや、私はもっと辛辣(しんらつ) ……)。

普段と違ったのは、言う側の私(娘)が言われる側(認知症の母親)になっているということ。そうか、私の言ったことに対して、父さんが困惑しているときの頭の中はこんなふうになっているのか! だけど、私はそれがわからずイライラしてばかり(林さんの演技? リアルでした)。あんな感じで、自分がわからないことに対して、キレられたり、バカにされたりしたら、正直、キツい。気が付けば、すっかり認知症の人の気持ちになっている自分がいました。

「まず寄り添ってみよう」介護生活21年目に誓う
 セミナーの参加者は、私を含めて6名。全員女性でしたが、医療関係者、福祉施設に勤務する方など認知症になじみのある方から、親御さんの将来に不安がある主婦など、立場はさまざまでした。セミナー中には、ワークショップ形式で参加者同士が意見交換をする時間も多く設けられています。

VR体験後、私とペアになった参加者が「外国人と話している感じ」だと表現していました。ですが、海外旅行と違って、認知症の世界に行ってしまった人は、わからないことを自分から伝えるのが難しく、現状では言葉が通じる世界に帰ることもできないのです。

それならば、できる方がジェスチャーでも、絵でも、ただ触れ合いぬくもりを伝えるだけだったとしても、コミュニケーションの方法を模索するべきなのではないでしょうか。自分が介護される立場になったとき、そうしてもらいたいと心から思いました。

私ったら、いつの間にかすっかり認知症の人の視点でものを考えているではありませんか! そして、それこそが今回のセミナーで得た大きな収穫であり、「おだやか介護」への第一歩なのかもしれません。

VRという新しい技術のおかげで、「認知症の人の世界」を疑似的にでも体験してみて、「父さんとの会話にイライラする前に、少しでも父さんがいる世界に寄り添ってみよう」と、今さらかもしれませんが、強く心に誓ったのです。介護生活21年目に向けて――。(岡崎杏里 ライター)


岡崎杏里
岡崎杏里(おかざき・あんり)
 ライター、エッセイスト
 1975年生まれ。23歳で始まった認知症の父親の介護と、卵巣がんを患った母親の看病の日々をつづったエッセー&コミック『笑う介護。』(漫画・松本ぷりっつ、成美堂出版)や『みんなの認知症』(同)などの著書がある。2011年に結婚、13年に長男を出産。介護と育児の「ダブルケア」の毎日を送りながら、雑誌などで介護に関する記事の執筆を行う。岡崎家で日夜、生まれる面白エピソードを紹介するブログ「続・『笑う介護。』」も人気。