藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

−脳内に住むロングテール。

こうしてブログを綴っていると、つくづく自分の‘思想’とか‘観念’の「たな卸し」だなぁと、しみじみ。


「単なる整理」でなく。

一度アップしておけば、そういう「思いのタネ」があった、という「意識そのもの」を消すことが出来る。


なんとも言えない安心感をかもし出す。


まあ外付けのハードディスクか。

これまではすべて「暗算」だった。

・「ある考え事」が起き、
・頭の中で漠然と思いをめぐらせ、


その時、関連した思考が
・「たまたま」結びついている、

そんな感じだった。


何か連続性がなく、「突っ込みが足りない」感じ。


「気になること」を書き留めることで、

1.何がしか「考えをまとめておくべきテーマ」を「忘れてやしないか」という強迫観念から完全に開放される。

そして、

2.突っ込んで思考するようになる。

書き留めてないと、以前の考えを「なぞって」、〝思考の重複〟が起き、随分ロスっていた。

3.思考の進化の過程も見える。

過去分から、「ザッ」と眺めることで、「あんま進歩しとらんな」と気づいてしまう。

4.「思考の怠慢」を、根絶。

これまでの「集成」が目の前にあるので、「考えている時間を過ごすことで満足する逃げ」を許さない。僅かでも、常に「進歩」を要求される。


「あるテーマ」に対し、


「これまで思考していた記録」を付けておくことで、必要な時にいつでも


「一覧」し、その先を創造していける。


ん?これはcpuとメモリの関係じゃない?


「一覧できる」のがキモ。

その「カテゴリ」のブログを閲覧することで、

一気に頭の中(メモリ)に展開できる。


それからcpuで演算する。

暗算でやっていたのでは、「頭の中で‘ある塊ごと’に思い出し」ながらcpuで処理するので、連続性がなかったり、抜け洩れがあったり、思考スピードが鈍る。


特に私くらいのcpuの速度だと、効果がデカい。


IQの高い人は空間図形を考えるのが得意だが、私はニガ手。


ブログのエラい効用だ。


などと思いつつ、こりゃまったく「ノートと同じ」だと気づく。


なぁんだ。


いや、ところがニ点だけ違う。

「アクセスの自由度」(accessibility)と「一覧性」。

常にそこにあり、携帯からでも、pcからでも、どこにいても「読み、書き」ができる。そんなノートなわけだ。


ここはデジタルに軍配。


そして、一握りの思想家だけでなく、ブログを扱う誰にでも「考えるチャンス」を与えた。

『脳内思考のロングテール』をもたらしたのだ!

と、なんのことはない、梅田望夫さんが前から言っていたことか。
(ref.ウェブ進化論p.166)

「個人にとってのオープンソースとかブログとは何か。それはポートフォリオであり、面接であり、己の能力と生き様がそのままプレゼンテーションの装置として機能する。(中略)記事を書き続けることで人との繋がりも生まれていく。転職活動をする場合、相手が読者ならば自己へのコンセンサスがある状態から交渉をはじめるアドバンテージを得られる。それだけのものを、カネも人脈も後ろ楯のない人間が手に入れる唯一の手段が、情報の開示なのだと思う。」
http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/04/webcodezine.php