成功体験も大事、だが何より「挫折」か。
自分の場合、と思い返すに…
運動が遅い、とか絵がヘタ、とか苦しんだ記憶はあるが、何と言っても高校だった。
それまで学校の成績でさしたる苦労もなく、何となくやってきた。
で、余裕綽々(しゃくしゃく)で臨んだ高校入試に失敗。
志望校に入れず、厳しい校則で有名の男子校にいくことが決定。
今思えば「いいんじゃないの」てなもんだが、当時は落ち込んだ。
思いっきり顔に縦線。
大げさでなもなく周りの景色から色が抜け、何でも灰色ぽく見えたものだ。
(この間、自殺する人は、直前に周囲の「色」がなくなる、と聞いた。(恐))
自分の最初の灰色人生。
しかも。
高校からは勉強の内容が飛躍的に増え、全くついて行けなくなった。
勉強とか学習とかへのモチベーションを失い、浪人するまで灰色は続いた。
大学に行くのなど、止めてしまおうかと思ったものだ。
そんな気分は、東大の友人に駒場寮に連れられ、色んな学生と話したことで一変する。
そこは一日中酒を飲んでいたり
延々と飲み会が続いていたり、
一日中マージャンをしていたり、
壁にいつも絵を描いていたり、
またその異様な外観(入り口がベニヤ板でツギハギとか)からも、非日常空間だった。
しかし、そんな中でフランス文学とか国文学、数学とか、哲学とか、誰に強制されるわけでもなく学問に没頭する大学生がいた。
学校のおベンキョウでなく、自ら学問する人を初めて目の当たりにして、今の自分は何なのか、とずい分打ちのめされたことを思い出す。
そして、自分も大学に行こう、と思ったわけだが、
日常が「充実していないという感覚」が最も長かったのは、この時期だったか。
その後の挫折
大学入試も失敗したり(嘆)、就職も思い通りとは行かず、また社会人になってからは失敗とか試練の連続だった。
だが体は覚えていた。
「灰色期間」を長く過ごしても、何も自分のためにならない、ということを。
今にして、「長い灰色時間」は勿体ないことをしたと思う。
もっとアクティブに勉強していたら。
何かに打ち込んでいたら。
が、とても自分の中に「理由」を見出せなかった。
が、後ろ向きに過ごした高校の三年間で「思い知った」のだ。
我ながら、何度も頭を打たぬとわからぬやつ。(呆)
早めに経験するということ
経験というか「早めに失敗すること」か。
大病を経験して、人生観を変えた偉人の話は多い。
「死」を目の当たりに感じ、人生を深く考えたゆえだろう。
人間、「好んで失敗する」ということもないが、失敗するなら早いうちが良い。
つまり、チャレンジも失敗も「早め早め」を志す。
早い失敗は、そのことを深く考えさせ「内省」させる。
「なぜ」失敗したかと「why?」コマンドが実行されるのだ。
最近つい、躊躇している自分に気付き、本エントリ。
常に問う。
自分は挑戦しているか。