藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

はしゃがぬこと

よくしたものだ。

競争がイヤで、商売が性に合わず、他人に影響を与えたくないというならば、それこそ山奥で自給自足か、出家するくらいしか道はなくなる。


すでに今すぐ「そうした道」を選択することは困難でもある。
またそんな選択は「己一人」はそれでよいかもしれぬが、内にこもって自己解決しているだけで、まあ現実逃避の感をぬぐえぬ。

家族やら友人や仕事やら、多くの人たちとかかわりながらどんな「海図」を描き、どんなルールで日々暮らすのか、というのが自分の信条、とかまあ企業理念ならぬ「人生理念」みたいなものか。


ううむ。
またうっとおしい話になったきた。
これはまた別の機会にでも。

意味なき興奮

「自然は飛躍しない」は最近見つけた大事な法則。
なので右か左か、と極端な議論をしても現実の生きる道は見つからない。
それこそ「けもの道を切り開く」精神で前方の視界を眺めながら慎重に進むしかない。

立川談志はいう。

「テレビ見ても、ニュース聞いても、オリャ聞きたいね。
何でそんなにはしゃいでなきゃいけねえんですか、と?」


ほんに。

はしゃ・ぐ 0 2 【▽燥ぐ】
(動ガ五[四])
(1)陽気になってさわぐ。
「子供のように―・ぐ」
(2)いい気になって大きなことを言う。
「企業規模拡大で一部上場などと―・いでいる」
(3)乾燥する。
「ばさ―・いで、流(ながし)も乾びて居る/婦系図(鏡花)」
[可能] はしゃげる

三省堂提供「大辞林 第二版」より

(はしゃぐ、に「乾燥する」という意味があるなんて知らなかった。)


やはり世の中全体的に「浅く」なってきているのか。
特に情報化社会、などと上滑りのニュースが大量に流れるので、立ち止まって考える、という機会は放っておけばずい分減ってきている。
大体のことはgoogleでオシマイ、みたいな習慣はすでにあるし。

(2)いい気になって大きなことを言う。

そうそうこれこれ。
「いい気」。
まあ慢心、とでも。
驕りとでも。
驕れる平家は……なんである。

エコに思う。

そこまで慢心せずとも、何かその「浮つき」を意識できていない。
たとえば。
近頃の温暖化ブームの「一連の気持ち悪さ」は何なのか。
聞くたびに背筋に悪寒がはしる。


ハンバーガーを100円で買い、そのゴミを紙とプラスチックに分類してそれでエコロジーか?
クールビズと言って一応クーラーの温度を高めにし、でも合成繊維のシャツを着ていてエコロジーか?
京都議定書とかサミットとか言って、豪華なジェット機で会議に集まって本当に何か変わるのか?


ペテンではないか。

文明の恩恵を受けながら、その上で「経済成長の制限」を志向するのは自己矛盾を起こす。

そもそも地球温暖化も決定的に判断する科学をまだヒトは持っていないようではないか。
(多くの科学者はむしろ氷河期の到来を説く)I

ファーストクラスに乗って国際会議場に行くのではなく、いかだに乗って無人島で会合せよ。
着るものは植物繊維を使って自分で織れ。
昼飯、晩飯は自分達で魚を獲り、木の実を摘め。といいたい。


そういうパフォーマンス(実績、腕前)がその根本の「精神」を表していくのではないか。
簡単なことではないが、クールビズで自分はエコロジーだと勘違いする常識が蔓延(はびこ)っては次の世代に汚点を残す。


下らぬことだが、そう思う。


ああ、またこんなことを書いてしまった。