藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

そこからの頑張り


学校のテストで50点。


どんな気分か。
おそらくそれほど嬉しくはなく。


「赤点ではないが、やる気が失せる」。
そんな感じか。

試験結果は数字にに現れるが、中位ほどやる気に反応しなくなる。

マイナスの克服でもなく、プラスの伸張でもなく。
虚無感か。


そうした対象には、あまりやる気がわかぬのは、自然といえば自然。
特徴がないのだ。


まあ動機を欠く、と。


で何なのか。

それでも50点の科目に挑戦しつづけること。

続けるための理由として

継続し続けることで、あるひピン、と気づきを得ることがある。
けっして派手でなく、また続ける時も確信までは持てない。


けれど諦めて投げ、「中止」していたらけっして気づくことのなかった「積み上がり」。


これに少しづつ気づくことかあるものだ。
愚直な、地味過ぎるとも思う毎日のなかに差す「一条の光」とでもいうか。



何かの「光」を感じて始めたこと。
趣味でも、読書でも、仕事でも。


その「感覚」には何かある。
あまりポイポイと止めててしまわず、自分のセンサーを信じて、継続すること。

50点でもくさらない。


何か楽しみを見出して続けることは、やがて大きな突破口を見出す可能性が大いにある。


「結果が出る」とはそんなプロセスの一連の現象に過ぎないのだろう。


そんな理屈が見えてしまうと「必ず結果を出す」ことはまったく現実のものとなる。
そんな理屈が分かると、また地味な努力も楽しくもあり。


これも「脳の強化学習」なのだろう。