藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

世代間でも透明化。


何だか、自分の就職したころなら。
六十、は定年としてはそれほど違和感がなかったが。む


今や。
六十など働き盛りのバリバリの人の方がむしろ多い。


しかし。
企業の経営陣は若返りが激しい。
上場企業でも四十代の社長は当たり前になっている。


四十代と六十代。
この二十年のキャリアを見過ごしてはならぬ、と思う。


『年の功』である。


昔は四十代がトップに立つことなどなかったからこの組み合わせが出現しなかった。
今はそれが現実になっている。


もっというと、その先、「四十代と二十代のコラボ」みたいなことも起こってきている。

クロス・ジェネレーション。
年上が隠居するのではなく。
年下が遠慮するのでもなく。


当たり前にお互いが気張らずに交流する。


格差こそ地位。


先輩を敬い。
あまり「素」で語り合うこともなく。
先輩は先輩なりに後輩を評し。


後輩は言いたいことは後日、同僚と愚痴を言う。
そんなことが、どんどん「ボーダレス」になりつつある。


そりゃそうだ。
いろいろ慮ってたって、結局は問うのだ。

どんどん、先輩に聞く。

人生のこととか、老後のこととか。
恋愛とか、結婚とか。
仕事とか、出世とか、金とか。


人生とか。


どんどん聞けばいい。
そして、先輩も考えたり。
悩んだり。
発散したり。


それでいいのだろう。
もう六十才は引退の年齢ではない。


五十才以下も、それほどすくむこともない。
これが今の時代の最高の持ち味か。


何でも聞き、話し、批判され、教わる。
それだけ「下の世代」に伝えるべきことは増えているのではないか。


オッサン側も。
若者側も。


共に互いの交わり、を深めてはどうだろう。
ムダに見えても、酒を酌み交わしたり。


そんなことに血の通った交流があるのかも知れぬ、などと思う今日この頃である。