藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分にとっての価値。


わからぬものだ。
もう20年近く、経営者のはしくれでいながら、あまり「金銭感覚自体」は成長していない。
最近、はじめてそれに気付く。


自分の銀行口座に、まあ数十万あれば。
それでかなり「豊か」な感じがしている。


でも社会人になりたてはもっと小さく。

自分の初任給、確か16万2千円。(二十年前。手取りは14万くらいか)

ボーナスなどあまり使わなく、三年分たまったお金で独立した。
それから17年あまり経つ。

悩みと、その後、のこと。


会社を始めても、自分のことも。
「お金のこと」が頭から切り離れた瞬間、というのはなかった。

少しラクになっても、またキツくなることは分かっている。
またそのキツい時に、金融機関や客先などの冷たいことも知っている。

中小企業というのは自由な反面、資本が安定することなどないのだ、と身をもって知ることになった。
単にカネカネ言うのではなく。

事業でカネの苦しみ、という要素は大きい。
夢のある、将来性を確信するような「希望のタネ」も一瞬で吹き飛ばしてしまう。


カネの懸念、というのは存外に大きいものだ。


三か月先の給与が払えるだろうか。
と考えながら飲む酒はなんと味気ないことか。(嘆)



ただカネはカネでしかなく。
カネは何かの「ため」に使われてその真価を発揮する。


「カネだけ」の状態では意味を持たぬ。


カネがなければ、すべてに「詰まる」。
だが、カネが何かを「発する」ことはないのだ、と気づく。


それが「カネ」に腐心していると見えぬのだ。面白いほどに。
すると当然カネ以外の「本筋で重要な方向性とか」の大事なことがおろそかになる。


するといい仕事にならぬので、稼げない。

カネに注意を奪われた「貧乏スパイラル」というらせん階段をゆっくりと下ってゆくことになる。


で、何が言いたいか。
カネは大事。
とても大事。


だが資金繰りに奔走しながらも、もう片方の手は、将来に向かって動かし続けねばならないこと。

そして、「カネの重要性」に魅せられる余り、その「カネづくり」に心奪われ『「稼ぐが勝ち」にならぬこと』も同様に重要なことだと思う。


こういったどこかの「落とし穴」にハマってウンウン唸っている経営者も多い。


つまるところは「絶妙のバランス感覚」ということなのかも知れぬが、そんな経営の「俯瞰」について考える。





そんな自分の姿を俯瞰して見ることは難しい、とても難しいことなのだ、ということを書き留めておこう。