藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

同じ轍に入らぬために


世界の経済や政治に、取り立てて詳しいわけでもないが、一市民としては考える。

100年に一度の不況、と聞き。
一年で600兆円が失われたと。

どうも産業革命も「次」はないらしい、などと思い。

先の世界恐慌では、脱出の糸口は自力再生ではなく、結果「植民地争奪」の戦争になった、というが。

今回は同じ轍を踏まずに済むかどうか。
まずはここが焦点か。


急じゃないから気付かなかったり


しかし、つくづく自分たちの住む「自然界」はイチゼロ、では理解できぬ。
ビッグスリーの救済劇を見ても、決して「どちらか一方」に現実は傾かない。


だから、判断に迷う。

ポール・クルーグマンですら、国の景気刺激策で需要を生み「強い経済」を作り出すべきだ、と述べる。

本当だろうか。
恐らく、ビッグスリーに貸し出された1.55兆円と引き換えに、多段階的にリストラが繰り返され、数百万人の失業者が「だんだんと」生み出されていくのだろう。
そんな風に「ガス抜き」をしながら着地しないと、それこそ暴動が起きる。


自分たちには、この「だんだんと進行するする変化」に誤魔化されないよう、トレンドをしっかりと見ていく視力が何より必要だと思う。
一挙に破たんしないから、といって事態は「何か改善」の方向には向かっていないのだと思う。


論客たちの話を聞くと


ところで、常々シンクタンクとか、著名な評論家の未来予測について、成績簿ができないものか、と思っていた。

多くの評論家先生の意見は、概ね、「経済はいずれ戻る」。という。
『このまま収縮に向かうのではないか』という意見は寡聞にして知らぬ。

(じぶんは「そっち派」だが。)
発展中のアジアや中国や南米や、ロシアなどの人々の「欲望度」をかえって甘く見ているのかも知れぬ。
再び、世の注目は「消費や生産、販売」に向く可能性もあると思う。(というか多分、部分的には経済は戻るのだろう)


で、そうした時に先進国、といわれる「文化のある国々」の価値観の示し方が重要かと思うのだ。

もう消費ではない。
新しい生活スタイルが訪れるのですよ。

そう思う、もう消費経済が主流にならないだろうという読みは、まったく自分の「肌感」なのだが。


さて、世界がロハスに向かうかどうか。
2009年の注目点に挙げたい。