藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アメリカの意味。


体力のない銀行を、国が率先して調査するという。
今のこの時期に。

the country's 19 largest banks
are undergoing "stress tests."

「ストレス テスト」というらしい。
こういうことを、国主導で、しかも一番苦しい時期にやってしまうところが、アメリカの最大の魅力だろうか。
思慮深くは決してないかもしれないが、その反面、何とも言えない「透明性」を感じずにはいられない。


アメリカに魅了される人の多くはこの「陽のあたる部分」をみて惹かれるのだろう。

  • 景気後退が2010年まで続き
  • 失業率は10%まで跳ね上がり
  • 1,500万人が失業
  • 住宅価格が今後29%下がる


それでもやっていけるかどうか、を政府が銀行に問うという。
ここら辺りが日本などと違うところだろうか。

これまで(護送船団で)一蓮托生でやってきたのに。
いきなりそんな質問はないでしょう?

日本の官民にはそんな臭いがプンプンする。
ようするに「自浄作用」が感じられない。
(その分ウェットなよさもあるのだが)


資本注入した先の銀行にだけ、いろいろ形式的な監査をしたり、マスコミを気にして報道したりするのではなく。
「今のルールに則って、いけるのか、いけないのか。」ということを都度都度やっていけるか。


そんなやり方が、時には極端で、自己を起こす場面を晒すこともままある。が。


『どちらを取るのか』と問われると、今の政官民、が気持ち悪い形で互いに浸潤し合っている状況を知るにつれ、「金融も雇用も政治も」一旦は統一ルールでやってくれ、という思いを禁じ得ない。
もう政府の支持率が何パーセントとか、そんな話ではない。


金融も、政治も、官僚も、そして民間企業にも等しく「ストレス・テスト」が必要なのではないか。
その「ストレス耐性」なくば、あまり大きなエリアに口出ししてはいけないのだ。

人は一番つらい状況になった時に、その「本性」が出るという。

普段は包み隠していても、自分が「いっぱい」になったらその「性」が露出する、ということだ。


この度のアメリカのストレス・テスト、にそんなことを思った。


上品な自分、ではなく。
常に限界の、いっぱいいっぱいの自分、を想定して行動できるか。
「そんなこと」を日常で考えているのか。
旧勢力、というか「安定志向派」が最も考えることを嫌うだろう「最悪の事態」を考える力は自分たちにはとても必要なのだろうと思う。


いつも頭の片隅には「有事」のことが。
それでなくては、真にハラの据わった勝負などできないのだろう、などと最近思い直したところである。