給料が右肩上がりではない、という話が出てもう数年が経つ。
思えば「それまで」は「そういう言葉」はなかったわけで、「放っておいても経済が成長する」という「高度」というよりもむしろ「自動とか自然経済成長」とでも呼ぶべきじだいが、実は2000年まで続いていたのだ、と今自分気づく。(呆)
より複雑に。
より困難に。
その「高度成長期」にモーレツに働いていた人は、それは努力もしただろうが、やはり「時代の波」が「消費」に真っすぐ向かっていたのだ、という大前提無しにはあり得なかったのだ、とこれ今さら気づく。
「頑張ったら報われる」ということが、少々労働的な「体で稼ぐ」ようなものであっても、少々強引な営業トークで物の販売をしても、まあ「報い」はあったわけである。
それが今は「その場」自体が縮んでいる。
そんな初めての環境なのだ。
この三月の企業や金融機関の好決算は、その高止まりする失業率に比して、非常に不気味な将来を予知している、と思うのは自分だけだろうか。
いわゆる大企業の「カラ騒ぎ」である。
中国にしても、インドやブラジルなど新興国にしても。
今のアメリカやEUや日本の債務が不気味に見えないはずはない。
でも、あえては「口」に出さない。
出しても、どうにも方向は変わりようがないから。
つまり、もうモノは要らないのである。
(つづく)