藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

連休の合間に。

今日から連休、というので珍しく外へ出ようと、自転車を取り出す。
と、タイヤの空気がほとんど抜けている。
グニュグニュ。


うむ。
なんの、と空気入れ。
バルブの注入口がなんだか妙な形で、いろんなアタッチメントがあるらしく、かなり手こずる。
うんしょうんしょ、とそれでも空気を満タンに。
で、いざ、走り出す電動自転車。


シュウシュウシュウシュウシュウシュウ。


よよ。
やけにペダルが重い。
いくらなんでもおかしいと、途上で見たら、どうもタイヤの空気を入れすぎたか、タイヤがどろよけのフェンダーに当たっている。
こりゃ走らぬ。
ショップに診せるしかなさそうである。




まてまて。
この辺りにちゃりんこ屋などないぞ。
ということは、このまま有楽町の販売店にまで行くのか、と軽く目まい。


空気を入れたのがマズかったか、といって、どれほど空気を抜けば適正かも分からず、途方にくれて、ふと。
そうだ。
近所の高層ビル街に、サイクルショップがあったじゃない。
アメリカのスタンドを見つけたような気分で、ようやくショップに漕ぎつける。



「すみません、このタイヤ、なんとかなりませんか」
「は。ああ、何か擦れてますね。もうタイヤが擦れてゴムが削れてますよ、ほら」
「うわ。何とかなりますか?」
「え。これはうちの販売した製品じゃないから、ちょっとムリすね。」
「え、むり?」
「はい。ではどうも。」


ということで、砂漠にオアシス、と思ったのは蜃気楼だった。
それにしても、この店員は自転車とか、お客というものへの愛着がないのか。
商売を何だと思っているのか、呆れつつ、恨み節を唱えながらも。
まあしょうがない、とトボトボと販売店への二キロ余りを歩き始める。
はあ。



で、シュウシュウいう自転車を引きずりながら、晴海通りをゆく。
足取りが重い。
そりゃタイヤを引き摺ってるんだもの。


途中で自動車整備工場らしき一間半の間口のお店の前。
シャッターが一メートルほど空いている。
祝日ゆえ、普段着の初老の男性が見るとはなしに、こちらを見る。



「お。兄さん、どうした、それ。」
「あ。タイヤが泥よけに当たってて。」
「みてえだな。そのまま歩かねえほうがいいよ。どんどんタイヤが痛ンじまう。」
「今販売店に行くとこなんです」
「ちょっと貸してみ。」
「あ、すまみせん」


結局奮闘すること10分。
「はあ。これならなんとかなるだろ。フェンダー自体が歪んでたよ」
「はあ。」
「あんた、これコカさなかったかい?」
「あ、そういえば、今日空気入れてた時かな」
「最近の外国製のちゃりんこは、タイヤとどろよけの幅が狭くってよ」
「なるほど」
「結構狂いやすいのよ。精密でサ。あ、これバルブキャップ飛んでるな。あれ、チェーンもずい分汚れてオイル差してねえなぁ」
「あ、スミマセン」
「兄さんサ、ちゃんと愛情かけてやんなきゃ、サ、こういうのは、な。」
「はい」


結局、都合30分、ブレーキパットが片減りしてるの、ホイールが汚れてるのと、みっちり自転車の世話をしていただく。
「よっしゃこれでまあなんとかなんだろ。ずい分汚れてたけどな。」
「有難うございます」
「おお、じゃな」


「あ、あの失礼ですがお代は」
「おお、また(築地の)場外で一杯おごってくれや」
「え?場外で? お、お店とか?」
「よせやい、江戸っ子さ。またな、って挨拶で礼なんかいらねえっ、て意味だよ。あんちゃん!!」
「ああ…」
「早くいきな。じゃな!」


くだんののサイクルショップは(店舗が大きく、体裁が派手な分)早く潰れてしまえ!という気分だが、
思わぬ、すばらしく粋な洗礼をいただき、また温かい江戸っ子の人情にもふれて、暖かな気分で初秋の晴海通りを歩く。


あれ。
今日はそんなことを書きたかったのじゃないのに。
このあと、ビックカメラに行ってからの悲哀があるのだが、今日はこれまで。


ちょっと嬉しい話でした。