藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ヘタレ、からの脱出。


そのブログが異彩を放ち、すでに多くの読者を獲得している。
またそのエッセンスを凝縮した著作は、いろんな角度から、各業界への示唆に富み、話題になっている。

いかに働き・いかに生きるかということに関しては、「将来楽をするだに若いうちに努力すべき」という「先行努力・逃げ切り型」のライフスタイルで一生安定した生活が保障されると信じることができた時代がありました。


今までの蓄えをうまく使ってあとは楽して逃げ切りたいという、私が?ヘタレ?と呼んでいるマインド・セットを、私自身を含めややの人が心の片隅に持っているのではないでしょうか。


しかし、本書で私は、研究者がプロフェッショナル/エキスパートとして誇り高いストロング・ライフを歩むということは、「先行努力・逃げ切り型」のライフ・スタイルに相容れないものであるということを主張しています。

ヘタレ、でなく、しかし俗物でもなく。

しかし、研究者がプロフェッショナル/エキスパートをめざす過程では、仕事の最大の報酬とは人間的な成長なのです。


成長に伴いより大きな仕事に取り組むチャンスが巡ってくるので、決して楽になることはありません。
楽しいことも増えますが、同時に苦しいことも増えるのです。


これが、プロフェッショナル/エキスパートとして働き・生きることの醍醐味なのです。
自分自身がそうであったように、本書で紹介した先人の言葉が勇気ある選択をする助けになれば幸いです。

研究者であれ、ビジネスマンであれ、コンサルタントであれ。
本書の冒頭で、その「職業」の醍醐味の定義、がなされている。
ヘタレであるな、しかし、いたずらに競争に塗れるのでもない。


その内面に、研究者とか、ビジネスマンとかはその自分たちの矜持、を持たねばならないのだろう。
まず最初に著者は「ヘタレず、しかし俗物根性でない」という研究職の究極の分類を始める。


そして、研究者の最大の報酬について「人間的成長」という精神性の高いものに、その定義を収束してしまう。
もともと実社会の「報酬」など、利権とか、金銭とか、権力とか名誉とか。
そんなものに変わってしまうことは多い。


研究者の最大の報酬は「人間的成長」と定義したところで、ずい分と議論の的は絞れている。
まだまだこれから、研究者としての姿勢とか、醍醐味の話は続くのだが、象牙の塔を出て、アメリカで独立しながらメッセージを発する著者の初著をこれまでのブログと共に鑑賞していければと思う。


それにしてもブログからこのような著作が生まれることそのもの、はネットの付加価値に非常に当てはめやすい。
ブログ文化のオプティミズム、の一つだろう。