藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

イヤなことを進んでやる、ということの重要性。


仕事をしていれば。
いや学生で多くの人と「集団社会」で生活していれば。
人間関係のストレス、はつきもの。
逃れることは難しい。
出家でもするか、第一次産業に従事する、などの環境を変えれば少しは和らぐのだろうな、などとも思う四十路である。(嘆)


さて。
社会で働いていれば、「組織のため」ということで自分の役割を果たす必要がある。
他人に「耳の痛い」内容をお願いせねばならないこと、なども多い。


自分も日々そんな場面の連続ながら、ある時、ふと思った。
「ああ、料金交渉の言いにくい電話をしなきゃな。」という「自分の気持ち」が何だか笑えた。
相手に誠意をもって伝えねば、というのは真理なのだが。


「ああヤだな」というのを。
「まあ、やるか」とか。
いやいや
「まあやるか」を「よっしゃ、やるか」くらいに。
そして。
「よっしゃ」を「ええな!」くらいに持ち上げてみる、ということを想像した。

「嫌な料金交渉の電話」は「楽しい、やりたい料金交渉の電話」に変える。
すると本当に「そう変わる」ということに気づく。


ものは何でも考えよう、である。

モチベーションをどこに置くか


そんなヘンなことを考えたのも「研究者の仕事術」の影響である。
例えば、「人間的成長」という価値観を自分の「重要なアイテム」だと位置づける。


嫌なことに、
嫌なまま、
イヤイヤに従事していたら病んでしまう。


嫌なことは、しばしば「いい成長の機会」と捉えることが可能である。
ゴミひろいも、ドブさらいも、自分を成長させる。
日々、すべてのことは自分の成長につながる、いや

日々すべてのことは自分の成長につなげることが可能である。

という理論が出来上がりました。
利用しない手はない。


さて、「楽しい」電話をしよう。