藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

男も女も一生稼ごう。

ハリウッド女優になるんじゃなくて、地方の小劇団の意地悪なおばさん役なら負けないというような、自分の居場所探しをしようと切り替えをして考えたんです。

そんな「見切り」を自分自身につける「客観性」が己が身を助けたという西原さん。
しかしその先は、自らの方向をドライヴする「自立」が原動力になる。

そしてどんな時にも足を止めないこと。そうやって少しずつ進んでいくうちに、自分のやりたいことがはっきり見えてくるんですね。こうして私は、人を笑わせることが好きだと自覚するようになりました。

西原は説く。
仕事を男のものに、とだけ偏ると男と女の間に「格差」ができてくる。
必要なのは、男も自立、女も自立であると。

そして若い女性も仕事は生涯続けるものだと覚悟して欲しいのです。


そして家庭が壊れていくのもたくさん見てきました。今この世代の人に向けてのアドバイスが見つかりません。酷な言い方をすれば、遅かったということ。でも、親として次の世代は変えていきましょう。女の子には徹底した自立を、そして男の子には「家庭的な女性を求めない」教育を。

扶養ということと、自立ということ。

本音を言えば、養ってもらう生活は時間の自由も、精神の自由も奪われるってことです。自由と責任は有料です。仕事を持つというのは、老若男女誰にとっても、最後は毅然(きぜん)と自分の思う方向へ歩いていけることだと思う。

賛否あろうが、きちんと女性の「自立」ということを、「養ってもらう生活時間の精神の自由も失うこと」という定義をしてしまうところが潔さである。
「自由と責任は有料」ということを今の社会は教えないから。
結局今の義務教育というのはそういった「リアリティ」を失ってしまっているのではないかと思う。
自分が幼少の時も、机上の「道徳」の時間に人権の大切さ、とか差別とか、仕事の意味、なんかはおぼろげに習ったが、実務ではまったく思い出せなかった。
全くの「一から経験」だったので実にあたふたしたのである。


就職とか、転職とか、昇進とか、自立とか、起業とか。
そんな自分の人生の「自立」を促す源は、「仕事にある」という。
なし崩し的に働きに出るのとは違う。


明確に「自立するため」に敢然と働くのだ、という覚悟が、結局自らの人生のドライブに最も近い道なのだ、ということを、我われは知らずに職に就いた。