藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

フクシマ50。


こういった災害時に、取り立ててクローズアップされてしまう、ということは、一見特別なようだが、ただどうしても注目されやすい。

「福島の英雄50人――自発的に多大な危険を冒して残った原発作業員」と報道。オバマ米大統領は17日の声明で「日本の作業員らの英雄的な努力」とたたえた。

誰もが気をもみ、けれどこの震災に際して「どうすればよいのか」を決めかねていた。
でもその「現場」には命を張ったヒーローたちがちゃんといたのである。
彼らに、心の底から感謝の意を送りたい。
彼らこそが、平成のスパイダーマンである。

最前線で危険な作業を担うのは、東京電力のほか、東電工業、東電環境エンジニアリングといった子会社、原子炉を製造した東芝日立製作所などメーカーの社員たちだ。

事故が起こった原発での、消火作業、計測、修復、報告。
想像を絶する恐怖の中で、でも彼らは「使命感」を拠り所に、「命の危険と引き換えの職務」に挑んでいった。
そこには「会社と仕事」とか「ミッションと義務」という「形式の世界」は存在しない。


「自分のなすべきこと」というシンプルな使命感が、多くの「フクシマ50」のモチベーションの支えだったのだと思う。
この「フクシマ50」に日本全体が支えられた。
それが今の「この国の誇り」なのではないだろうか。


災害地へと赴くボランティアには、同様の使命感をもつものも多いと聞く。
戦後、さまざまに揶揄された日本だけれど、「失われた侍魂の贖罪」のようなものがこの度の震災で発露された、と思うのはうがった見方だろうか。


自分たちは、やはり「非常時」には自己犠牲を厭わず、また「国全体」を考えて没個性となれる、そんな尊さを持っていたのではないのだろう。
戦後60年は、「そんな特質」がたまたま露見しない時代だったのである。
というか、「逆境」あってこその国民力、ということだろうか.


誇らしい、と思う反面、皮肉な感じもする日本の色である。


「英雄フクシマ50」欧米メディア、原発の作業員ら称賛

 福島第一原発で作業にあたる人々が、欧米メディアやネット上で「フクシマ50」と呼ばれている。


 米紙ニューヨーク・タイムズ電子版が15日、「顔の見えない無名の作業員が50人残っている」とする記事を東京発で載せた。米ABCテレビも「福島の英雄50人――自発的に多大な危険を冒して残った原発作業員」と報道。オバマ米大統領は17日の声明で「日本の作業員らの英雄的な努力」とたたえた。


 最前線で危険な作業を担うのは、東京電力のほか、東電工業、東電環境エンジニアリングといった子会社、原子炉を製造した東芝日立製作所などメーカーの社員たちだ。


 地震発生後には800人いたが、15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。監視などのために残った50人が、フクシマ50になった。その後、新潟県柏崎刈羽原発などからも応援が駆けつけ、交代しながら作業。送電線を引いて電源を確保する作業員も加わり、18日朝には総勢約580人が現地に入った。


 作業員は頭まで覆われた防護服姿。頭をすっぽり覆う防護マスクもつけている。胸には放射線量をはかる線量計。その日に浴びることができる放射線量をセットし、8割まで達すると警報音が鳴る。


 原子炉内への注水作業は、人海戦術だ。1人の作業時間を決めて弁まで行って操作。それを交代で繰り返す。格納容器内の蒸気を外に逃す弁を開く作業では、1人が大量の放射線を浴びた。18日までの負傷者は20人を超えた。


 建屋の爆発で飛び散ったがれきが、作業をはばむ。放射線量が高い1〜4号機での活動は難しくなり、いまは電源確保や5、6号機に人を振り向けている。


 現地の対策本部は、原子炉の山側にある免震重要棟にある。作業員は、この棟で寝泊まりしている。東京・内幸町の本社2階にある緊急時対策室に現地の状況を伝え、指示を仰いで作業を進める。



 本社の緊急時対策室には、100人以上が詰める。中央に円卓があり、大型モニターが現地の様子や計画停電の状況を映す。社員の一人は「テレビ会議で厳しい環境で作業する仲間をみていると、涙が出そうだ」。中央には清水正孝社長がすわる。周囲には復旧班や計測班の机があり、対策を練る。原子力安全・保安院は、別室に陣取る。


 原子炉圧力容器や格納容器内の圧力計や水位計は、一部が機能を失っている。何が起きているのかは、限られたデータから推測するしかない。ある幹部は「スリーマイル島チェルノブイリの事故のときにどんなことがあったのか思い浮かべながら、何をすべきか考えている」と明かす。