藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

五輪やリニアに浮かれる日本にとって「真の事実の報道」はなにより重要なエッセンスである。

福島第一原発の「廃炉事業」について。
数十兆円と40年ほどもかけて、「ある原発をなきものにする」ということが原発にはひつようになる、という事実。

地味とか、成果とかいう次元を超えて、これは"そういうもの"を自分たちが扱ってきたのだ、ということの「ツケ」でしかない。

つまり「いいとこどり」で、先に「安い電気」を貪った結果なのである。
これを儒教的見地で「安易な手段に傾倒し過ぎ」などと批判するのは簡単だが、もっと醒めた話の問題である。
つまり「核融合エネルギーの発生と民生利用」には「エネルギー使用後」にも隠れたコストが膨大にあり、また万一の事故の発生時には「核特有の問題」もあり、そうしたリスクやコストを全体に見渡して「エネルギー利用」というものを考えないと、あとから「払えないツケ」を請求する迷惑な事業になることもある。

原発については、「廃炉にかかる作業」とか「廃棄物処理のコストや場所探し」とかを含めた「立地の策定」などの建設計画がなければならない。
そういう意味では、今にして、これまでの原発設置計画はまだまだ配慮が不足していたのかもしれない。

3.11の原発事故は、まだまだその「原子力発電のAtoZ」をリアルに示している最中である。
こうした具体的な事故の反省無くして、今後の原発推進or廃止のぎろんもあり得ない。

まずは「先の原発事故の決算」を三十年単位で見てみて、その必要性や価格を検討するに違いない。
国中上げての「エネルギーインフラ」と出来るかどうかはまだ確実に認められたけではないのである。

日曜に想う)見るべきことを見るために 論説主幹・大野博人

これは、日本にとって今世紀最大のプロジェクトではないだろうか。東京五輪よりもリニア新幹線よりもずっと長期にわたり、大がかりで、しかも予測できない困難に満ちた挑戦――。
 福島第一原発廃炉事業である。
 核燃料の取り出しが始まった4号機には、巨大な構造物が覆いかぶさっている。クレーンなどを設置するいわば足場だが、そこに使われた鋼材は約4200トン。東京タワーに匹敵する量だという。
 4号機は事故当時、稼働していなかった。燃料は炉内ではなく燃料プールにあった。それでもこれほどの態勢で臨まなければならない。ましてやメルトダウンを起こし、炉内の様子が今もよくわからない3基の処理にはどれだけのエネルギーや時間が必要か。
 たとえば放射線量の高い場所でも自在に動けるロボットを開発しなければならない。そのためにはまず現場を模した実験場が必要で、原発から約20キロの福島県楢葉町に原子炉の模型を作る予定だ。14年度末までの運用開始をめざしている。何をするにも準備のそのまた準備から始めざるをえない。
 廃炉作業が終わるのは政府の見立てで30〜40年後。そのころ東京五輪はすっかり昔話になっているだろう。
 費用も想像を絶する。東京五輪は競技場建設などに4千億円前後、リニア新幹線建設は9兆円あまりとされる。これに対して福島第一の廃炉や除染の費用は、数十兆円規模という推計(日本経済研究センター)もある。
 壮大だ。ただゴールにたどり着いても何かができあがるわけではない。今あるものをなくすプロジェクトだ。
     *
 この秋、福島第一の現場を見る機会があった。あらためて感じたのは、作業環境の厳しさだ。頭から足先までマスクや防護服で何重にも体をおおう。見て回るだけでも動きはかなり制限された。複雑な廃炉への仕事を、人々はそんな格好で線量計に注意しながら進めなければならない。
 しかも、いつどこでどんな事態が起きるか予測は難しい。場所により大きく変わる放射線量、どこから漏れているかわからない汚染水……。
 事故から2年8カ月経った今も非常事態に変わりはない。しっかりした計画書を基にスケジュールに沿ってこなしていく仕事とはほど遠い。
 東京電力によると、現場に出ているのは1日あたり約3千人。重要だが、記念碑的な何かを建設するわけではない仕事に携わる。消防士に似ている。多くの人が長い間にわたり誇りと意欲を持って取り組むには、何よりも社会からの敬意が欠かせない。
     *
 そのためにも、まず福島に多くの視線が注がれるべきだ。哲学者の東浩紀さんはそう考える。「『見られる』ということは、このプロジェクトに日本の未来がかかっている、世界のためでもあるという、働く人たちの誇りにもつながる」
 だが現実には、人々は事故を忘れようとしているように見える。東さんは、最近、福島県のある観光マップに衝撃を受けた。警戒区域などが灰色に塗られていて、原発の「げ」の字もなかったという。「国や東電だけでなく、福島の人たちにも忘れたいという気持ちがあるのでしょう。いつまでも放射能の話はしないでほしい、と」
 先月、自ら代表を務めるゲンロン社から「福島第一原発観光地化計画」という本を出版した。内外から旅行者が訪れる地にして再生につなげようという提言の書だ。
 「広島は被爆の悲劇から核廃絶の中心地としての世界的地位を築いた。福島も事故で大きな使命を担ったと考えることで、事故前には想像できなかった価値を手に入れられるのでは」
 途方もなく巨大な試練。そこから目をそらしてみても、試練が消えるわけではない。「観光地化計画」という軽やかな響きの言葉に込められた問いかけは重い。