藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

風化しないために。


震災から丸一月。
戦後生まれの自分には、初めて経験する、まったく妙な空白の一月だった。
阪神の震災の時よりもショックが強いような気がするのは、犠牲者の数ばかりではなく地震に加えて大津波が襲い、またその様子を「リアルタイムで自分たちが見る」、ということの不自然さのせいだろう。


この度の地震北米プレートと、その下に潜り込む太平洋プレート
の間で起きたという。
日本は四枚のプレートの境界にある、宿命的に「地震国」ということらしいが、それにしてもその様子を後から聞くと戦慄する。


震源は「震源域は南北約450キロ、東西200キロに及ぶ」といい、海底の地面は「約5メートル盛り上がり、24メートルも東に動いた」という。
そしてその津波は「岩手県宮古市で標高37.9メートルの地点まで達した」。


自然の脅威と言えばそれまでだけれど、1896年の明治三陸津波、その後1933年にも昭和三陸津波と過去の経験もあった。また

政府の地震調査委員会はこれまで、宮城県沖の海溝型地震(M7.5前後)が30年以内に起きる確率を99%と推定。

していたという。
地震の予測ほど難しく、周知しにくい性質のものもなかろうが、もう少し「その時」には何が必要か、という想定くらいはできなかったのかとも思う。
この度、過去の経験から、長い時間をかけて移住したり、また迅速に非難をして災厄を逃れた地域も少なからず
ある。


次に。
次につなげたい、と思う。

列島に「傷痕」深く 過去に例ない広域「大連動」
東北地方の太平洋沖を震源とする東日本大震災は、太平洋プレート(岩板)と陸側の北米プレートの境界で発生した海溝型地震だ。地震の規模はマグニチュード(M)9.0で、日本列島の周辺で起きる地震としては観測史上最大。東北地方の太平洋岸は地震津波の多発地帯だが、これほど広範囲に津波被害を及ぼす巨大地震は想定されていなかった。

 地球の表面は十数枚のプレートで覆われているが、このうちの4枚が日本列島付近でせめぎ合っている。特に、太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込む千島・日本海溝沿いと、フィリピン海プレートが陸側プレートの下に潜り込む相模・南海トラフ(浅い海溝)沿いは、海溝型地震が起きやすい。

 3・11の巨大地震は、三陸沖から茨城県沖にかけての日本海溝の西側(陸寄り)で発生し、北米プレートが跳ね上がった。気象庁などによると、地震活動は3段階に分かれ、最初の破壊は宮城県沖から三陸沖へ北向きに進み、その後、南に向かって福島県沖、茨城県沖の震源断層が動いた。強い地震波は5〜6分も持続し、阪神大震災(平成7年)の16秒よりもずっと長かった。


震源域は南北約450キロ、東西200キロに及ぶ。海上保安庁によると、宮城県沖の震源海底は地震前に比べて24メートルも東に動いた。東北大学の観測では、震源付近の海底は約5メートル盛り上がったと推定される。また都司嘉宣・東大准教授の現地調査では、岩手県宮古市で標高37.9メートルの地点まで津波が到達していた。約2万2000人が犠牲になった明治三陸津波(明治29年)と同等以上の史上最大級の津波だった。


 政府の地震調査委員会はこれまで、宮城県沖の海溝型地震(M7.5前後)が30年以内に起きる確率を99%と推定。東側の震源域(三陸沖南部)と連動した場合はM8.0となって津波被害の恐れもあるとしていた。しかし、三陸沖から茨城県沖までの「大連動」は過去に例がなく想定外だった。

 最大震度7の激しい揺れを起こした今回の地震だが、揺れによる建造物の被害は意外に少ない。建物被害を増大させる「キラーパルス」と呼ばれる周期1〜2秒の地震波が、地震の規模のわりに弱かったためで、周期0.5秒程度の短周期の地震波が相対的に強かった。

 一般に、地震の規模が大きいと長周期の地震波が強く放出されるが、数秒以上の長周期地震動もあまり強くなかった。

 数十年周期でM7〜8級の海溝型地震が発生する東北地方の太平洋沖で、「大連動型」の巨大地震はどんなメカニズムで起きたのか−。地震研究者は大きな課題を突きつけられた。