藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

目からウロコに気づけますか?

この年になってまあ、と思うが「そんな年」になってみないと分からぬこともある。
と開き直ってみる。
ここ最近、机上のPcに貼ってあるのは

『凡眼には見えず。心眼を開け。好機は常に眼前にあり。』

この言葉、何度見直しても新鮮である。
新年になって、早朝改めて見てみると、また改めて「そうだな」と思う。
そんなしみじみ感を分かってもらえるだろうか。

思うほど分かっていない自分のこと。

自分は学生時代、「根拠なき閉そく感」に囲まれていた、と思う。
反面、自分を囲っている人など誰もいなかった。

自分は不自由で、しかも何となくツイていない。

ずっとそんな風に思っていた。
そんな自分を、「今の自分が見たら」どう思うだろうか。

正直、「あなたの選択肢は無限にあるし、あなた次第で360度開けているのだよ」としか思えないだろう。

いわれなき若者の閉そく感とは、実はそんなものだったりするのだと思う。

自由の意識

学生であれば、これから学ぶこととか、これから興味を持てるかどうか探したいこととか、色んな事に「準備」ができる。
多くの学生はそんな風に捉えていないが、戦略的に考えれば「安全な防空壕に居ながらにして」実践の様子を窺うことが可能である。
ぜひ社会人や、学問の専門家と触れ合って、ナマの意見を聞いてみたり、体験することを薦めたい。
最高の実務教育になるだろう。
企業はそういう意味のインターンシップは多少の負担を負ってでもやるのが本当のCSRというものであろう。

それはともかく。
学生であれ。
社会人であれ。
サラリーマンであれ。
自営業者であれ。
管理職であれ。
役員であれ。
代表者であれ。

実は皆、先の「学生さんのいわれなき閉そく感」という呪縛にとらわれていることが多い。
自分がそうだった。
思えば、小さな船の船長として、しかしこれからの船出の海図は、自らが自由に描いていい。
けれど、「過去の経験」とか「周囲の手前」とかを気にして"自分たちはどこへ行くべきか"という一番大事な船長としての哲学を忘れてしまうのである。

これは、船の船長ではない、サラリーマンでも例外ではない。
ついつい、組織の中にいると「その窮屈さ」に目が行き、あたかも自分は「束縛ゆえに力を出せない」などと思い込む。
だが、実際にはそれなりの範囲で「自分の権限」というのは存在するものである。

むしろ、「どういうことまで自らが発想し、計画し、実行に移していいのか」という境界線についての認識が曖昧なのだ。

だから、社長から新入社員まで同じように「自分には自由がない」という固定観念が蔓延っているのである。
で、冒頭の格言。

好機は常に眼前にある。

と思わば、かなりの可能性は「自らの視野の持ち方」によって切り開くことができるのだ、ということに気づく。

「見ていたいつもの景色が、実はこんなに広く、開けたものだったのだ」と気づく、そんな瞬間は実はとても身近にあるのである。

仕事でも、恋愛でも、家族関係でも、趣味でも、『好機は常に眼前にあり。』
もう一度今年に徹底したい座右の銘なのである。