藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

性の科学とその共有。

思えば、性風俗ほど(その「生命への存在の近さゆえ」)、人々の興味の対象でありながら、表沙汰に語られることが少なく、また男女の性差があり(女性が不利)、また子供への露出は禁忌であったものはない。
これに比べれば戦争体験とか、人種差別とか、いろんなタブーはまだ「オープンな存在」であったと思う。

自分も含め、大人たちは「自分がまだsexの当事者であるから」だろう、子供世代に「その実感」を伝えることに消極的である。
というか、もう殆ど「避けている話題」になっている。
そりゃ親が子供に「自らの性体験」を語るほど恥ずかしいこともなく。
(ところが不思議に友達同士では、むしろ積極的にこの赤裸々な話題は語られる。要は"興味は高いが、話しにくい"ということなのだろう)

かくして、10〜20歳の子供が、もっとも成長の盛んな"第二次性徴"の時期に、なかなか血縁者からは知識を得にくいわけである。

親子の間で「避妊」とか「中絶」とか「ピル」とか「膣外射精」について話す、というのはなかなか勇気のいることである。

けれど、若者はそんな大人の思惑をよそに、日々成長しているし、そうしたことにも興味は高い。

セックスすることを自分で決めた子どもは、妊娠したからといって急に「子ども」だからと逃げ出す訳にはいきません。
しかし、妊娠の継続が本人の健康を維持できなかったり、現実問題として出産、特に育児を本人が果たせないことが明白であるならば、人工妊娠中絶はその時点での最良の選択であると考えるべきです。
自分で決めたという自信と責任を忘れず、願わくば同じことが繰り返されないよう、確実な避妊法選択の道を探って欲しいものです。

子供らはあらゆる方位に「興味津津」だし、また経験も少ない。
けれど馬鹿ではない。

他人が強制するのではなく、子どもたち自身が自尊感情を高め、性的自己決定権を行使していくことなくしては、子ども達の真の成長は望めませんし、性の管理者として、自分の体を自分で守り通すことができないのではないでしょうか。

というドクターの言は、正鵠を得ていると思う。
子供に「自己決定」を促さずして、事前に柵を作ろう、というは「温室思考」でしかない。
結果も、温室を離れた作物は、寒さや虫に斃されてしまうものである。

子供が、経験を通して「自ら判断してゆく経験と力」を付けてくれるに違いない。

そう信じて、いかに「手を離せるか」ということが、実は親世代に求められている勇気なのではないだろうか。
もう過保護ではいられない時代になっているのである。

子どもは自分の何を決めていいか(第2弾)
昨年末に「子どもは自分の何を決めていいか」を書いたところ、議論が沸騰したことは記憶に新しいところです。今回は、その第2弾として、子どもは「避妊」「中絶」を自分で決めていいのかについて書いてみました。活発なご意見をお寄せください。

日本産科婦人科学会など学際的6団体がつくった「低用量経口避妊薬(ピル)の使用に関するガイドライン」では、「骨端線の早期閉鎖(骨の成長が早く止まってしまうこと)を促す恐れがある」ことから思春期前の子どもへのピルの処方については禁忌であるとしています。

日本産科婦人科学会の用語委員会では、「思春期」とは「二次性徴の発現から完成まで」の時期とし、その年齢は概ね「8,9歳から17,18歳」と定義している。したがって、中学生以上ともなれば「思春期前」の範疇(はんちゅう)にはなく、妊娠する可能性がある場合、妊娠を回避するための手段としてピルが利用されることは一般的に行われていることです。

セックスがなされるならば、年齢のいかんに関わらず、妊娠するかしないかの判断はセックスの一つのプロセスとして忘れるわけにはいきません。問題は彼らの避妊法としてピルが最適かどうかです。

基礎体温法、コンドーム、殺精子剤など比較的安価で、子どもも手に入れやすい方法がいくらでもあります。しかし、緊急避妊法を必要とした理由の6割が破損などコンドームにまつわる問題であることはこのブログで何度もご紹介してきました。


腟外射精なども含めて、失敗に気づくまで、本人は確実な避妊法だと信じていますし、自分たちにできる精一杯の方法をとったと主張することが少なくありません。人工妊娠中絶手術が及ぼす精神的、身体的、経済的影響を考えると、妊娠を到底受容できない世代にこそ確実な避妊法が必要であり、その意味ではピルの使用は極めて有効であると確信しています。

本人が、ピルにかかる経費、服用に伴う作用機序や副作用、使用法などを納得した上で、ピルの服用を望むというのであれば、何人もそれを阻止することはできません。時には、セックス経験を持つ子どもがいる場合、望まない妊娠を回避するために、親が避妊に係る経費を負担することがあってもいいのではないでしょうか。それとも、「ダメなことはダメ!」で押し通しますか?

誰一人として、中絶をするためにセックスしたり妊娠する人はいません。セックスが行われたとしても自分が妊娠することなど想像もできなかったという少数例の存在も否めませんが、自分ではコンドームを使用するなど避妊をしていたと自信があったにもかかわらず、妊娠という結果を引き受け戸惑うことが一般的です。

中絶手術に要する経費が高額であったり、術後の安静や積極的な避妊指導を受けるためにも親を巻き込むことが望ましいとは思いますが、現実には、親に相談できないばかりに、いたずらに時が過ぎ安全な手術の時期(初期中絶と呼ばれる妊娠12週未満)や、時には法的に認められた中絶許容期間(妊娠22週未満)までも逸してしまった事例は少なくありません。また、友人や教師に相談したがために、多くの人に知られるところになったりと、本人の意志に沿わない方向に事態が動き出すこともあります。

セックスすることを自分で決めた子どもは、妊娠したからといって急に「子ども」だからと逃げ出す訳にはいきません。しかし、妊娠の継続が本人の健康を維持できなかったり、現実問題として出産、特に育児を本人が果たせないことが明白であるならば、人工妊娠中絶はその時点での最良の選択であると考えるべきです。自分で決めたという自信と責任を忘れず、願わくば同じことが繰り返されないよう、確実な避妊法選択の道を探って欲しいものです。

わが国の場合、自己決定権を認めると、秩序のない社会になってしまうと危惧する大人が意外と多いものです。そのために、大人はモラルやルールを作ることによって子ども達を縛ろうとしますが、性衝動をはじめとした、からだや心の動きはコンピューターのように指示通りには動かないものです。

他人が強制するのではなく、子どもたち自身が自尊感情を高め、性的自己決定権を行使していくことなくしては、子ども達の真の成長は望めませんし、性の管理者として、自分の体を自分で守り通すことができないのではないでしょうか。そのために、私たち大人がなすべきことは、子ども達が今、何を求めているのかを知り、彼らが自己決定するに必要であると考えられる情報を的確に提供していくことなのです。