藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

結局は。

いままでブログの中でも「**力」というような表現をよくしていた。
結局は、仕事をしていくとか、社会で他人と付き合うとか、異性とどう向き合うのか、とか。
政治とか経済とか消費とか、娯楽とか修行とか快感とか。

つまり日々、生きていく中では「色んな能力」が実は必要なのだなぁ、と思う。
それは実は、縦割りに「向上力」とか「応用力」とか「吸収力」というようにバラバラにあるものではなく、何かその実態は"じわーと沁み出すような感じ"の一見はっきりとは分からないような存在なのだと思う。

書店の自己啓発コーナーにある「質問力」とか「○○に学ぶ交渉力」などというタイトルを見るたびに感じる胡散臭さは、実は"これだけで"という人の心理の弱点を突いた、タイトルの設定に対する拒絶反応のようなものなのである。

つまりは、生きる上で必要なのは「そうした力を俯瞰する」ための力、というか"センス"なのだろう。
「なりたい自分」を想定して、そちらへ引っ張っていく力、とも言えるだろうか。
じゃあ結局は自己評価をどれだけシビアに実施できるか、というような話になってしまうのか。
やはり自分を探すのは最高に難しいようなのだ。