藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

窮地で考えること。

全国の大学の学長の6割が、供給過多を感じているという。
また大学過多の影響は「学生の質の低下」「経営難」「教育の質の低下」が上がったという。

自分は思う。
こうして、大変な渦中のさ中にいるプレイヤーは大変である。
もうその当事者としては「気が気ではない」だろう。

こうした話はどの業界にもある典型的なものである。
製造業もゼネコンも、流通業も、ソフト開発も、介護などのサービス業もどれも同じこと。

こうした時に、大きく二つの群れに分かれる。
一つは「不満型」。
こうした施策をもたらした、政府や行政の制度が悪い。とか
補助金が足りない。とか
そもそも教育の指導要領が悪い。とか
共通点は「今すぐに対策できない、他所のことを批判する」のである。
それは「私は悪くない」という弁明には(まあ)なるのかもしれないが、(実は言い訳になってないけれど)いわゆる「典型的に仕事のできない人物の発言」と思っていい。

社会人になりたての人も、学生さんも、ぜひ社会人の発言をそういう目で見てもらいたい。
いや学校においても先生や仲間の発言は「そういうカテゴリー」に類別されるだろう。

"経営"の目線。

そうした゛「できない派」は反面教師にしておいて。
では「できる派」はどういう感じか。
自分は以前、ある大学の責任者とお会いし、その「経営論」に触れる機会があったが、その思想たるやまったく「企業経営の理念と実践」以外のなにものでもないのに驚いた。
もっと「教育者としての様々な理屈」が先に出てくるのかと思っていたが誤解だった。

欧米の大学の長所・短所を調査・研究し、
また日本の文科省の問題点を分析し、
自校の強みと弱みを考え、
"骨太のビジョン"を打ちたて、それをもとに
短期、中期、長期の施策へと落とし込む。
その手法は、「教育という分野における経営とはかくありき」ととても斬新な思いがした。

一方同様に「企業」といえど、「ただ利益追求」という看板のみで、大した理念もなしに運転し、運営上の綻びから不祥事が起きてあっという間にコケてしまう会社も多い。
大学経営も、供給過多に喘いでいる今が、実は変曲点にあるのではないだろうか。

時代の流れというのはあるもので、そうした時に敏感に風を感じて操船できるかどうか、というのは船長の力量がものをいう。
ピンチはチャンス、はリアルな格言なのである。

大学の数「多い」、学長の6割 朝日新聞河合塾調査
【歌野清一郎】全国に783校ある大学数を、大学の学長の6割が「多い」と認識していることが、朝日新聞社河合塾の「ひらく 日本の大学」調査でわかった。調査は、大学院のみの大学や募集停止した大学を除く国公私立大学739校を対象に4月から実施。618校から回答があった(回収率84%)。

大学数が「多い」と答えたのは362校(59%)に上り、「適正」は160校(26%)、「少ない」は17校(3%)にとどまった。

「多い」と答えた学長に、その影響を複数回答で尋ねたところ、「学生の質の低下」が83%、「大学の経営難」が73%、「教育の質の低下」が57%だった。

18歳人口は1992年は205万人だったが、昨年は119万人まで減少。一方、この20年間に大学の数は、規制緩和で523校から約1・5倍に増加した。昨秋には、当時の田中真紀子文部科学相が「大学の数が多すぎる」「教育の質が低下している」として新設3校の開校をいったん不認可として論議を呼んだ。

また、70%の大学が、定員割れが続く大学に対策が「必要」と答えた。望ましい対策は、「定員増減の柔軟化」が全体の8割を占めた。「文部科学省による閉鎖・統合の勧告」は国立大の64%、公立大の75%が「望ましい」としたが、私立大は37%と、差が出た。

補助金の削減」は、国立大の55%、公立大の46%が「望ましい」としたが、私立大は29%で、逆に「望ましくない」が54%を占めた。昨年度の入試では私立大の46%が定員割れしており、定員は確保できている国立との立場の違いが表れている。

一方、大学の経営状況については、全体で36%が「厳しい」「やや厳しい」と回答。「厳しい」「やや厳しい」が国立大では69%。一方、私立大は32%、公立大は26%だった。国立大は2004年に法人化された後、収入の半分近くを占める運営費交付金が年々削減されている。私立大は授業料など学生の納付金を主な財源とし、公立大は主に自治体の予算で運営されており、財政事情の差が経営の現状認識の違いに表れている。