藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

安くも高くもなく。

安もん買いの銭失い、というキツい言葉がある。
自分も若い頃、これを盛んにやらかした。ショーウインドに派手に並んでいる服や、ちょっと奇妙な形だがユニークなバッグとかを、衝動買いするのである。


余り両親からもそういう教育を受けた記憶もなく、ずい分無駄遣いをしてきた感がある。
少し年を取り三十代になってからは、今度は「一生もん(なぜか関西弁)」を探すようになった。
多分安もん買いの反動だろう、高価なシャツやニット、外套を買ってみるようになったのである。
それでめでたく、衝動買い癖が治ったら良かったなのだが、また別の症状が。

服や、嗜好品に流行りがあるのは知っていたけれど、自分の「更け具合」については配慮が、足りず。
若いときには似合っていた(と思っていた)ものも、「こちらの理由」で合わなくなるのである。


そして今。
アパレルも嗜好品も、ずい分とムダに紆余曲折したが、結局は

デザインは「″超″安物」で試して使い倒してみて、「さらに使いたい」という結論が得られればようやく「一生ものリスト」に入れる

という二段構えの技を編み出したのである。
もう三年もお蔵入りのレザーのパンツや、一回着たら解れてしまうこわごわのニットにはおさらばだ!
と一人ごちていたら、友人に「私は中学生の時からそうしてるよ」「大体店員の進めるままに高級品を買うお客はカモだし」「大体、センス悪くても注意してくれる優しい人はいないと思った方がいいよ」
と非常に厳しく、的確な助言をいただいて再度反省。

それにしても、知る人は十代から身に付けているおしゃれ哲学を今ごろ実践するイタい中年なのであった。