藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ばかなことばっかり。

ばかも時にはやっておいたほうがいい、という下らぬ話。

そもそもは、自分のいささか屈折した高校時代に端を発する。
ロン毛でジーンズに憧れていたら、滑り止めの先は"丸刈りマスト"だった。
しかも男子校。
しかも仏教系であり、毎朝全校生徒三千人で一斉に般若心経を読経するという。
毎朝、校門には生活指導部の"操り人形"となった風紀委員が多数立ち並び、八時二十分を一秒でも遅れようものなら、手にした六角棒で我われの道を塞ぐのである。
大体なんであんな警察署みたいな太い棒が必要なのか。
血の気の多い男子ばかりである。
喧嘩や喫煙、飲酒にサボり。
何かあれば恐怖の"写経"が待っている。
般若心経確か1024文字。
これ筆でまともに書くと一時間以上かかるのである。
これを「罪の程度に合わせて」科されるのである。

罪刑専断主義。
かくして段々青春の心は輝きを失い、だんだん表情の変化な若者たちが仕上がっていったのである。
何の話か。

そしてそして。
晴れて出所。卒業。
すると、むやみに髪を伸ばしたり、むやみにたばこを吸ったり、酒を飲んだりしてみたくなる。
まさにリバウンドである。
周囲や家族には「バカなことばっかりして」と言われようとも。
あの時はそういうバカなことをしてみたかった。(つくづく)

学生生活の反動で、あまりにバカなことばかりしていたので、この年になってもふと思い出すことがある。
それは「これからバカやってみようかな」と思ったとき。
その時に「あれほどのバカっぷり」をしたのだから、今さらまた始めることもないだろう、とあまり妙な弾け方をしなくなるのだ。
え?この年なら当たり前だと仰らないで。
中年でも、それはそれでバカやりたいときはある。
ちょっと魔が差すこともある。
そうしたときに、一度経験しておくと暴発を防げる、という効果を自身に認めたのであった。

(後日。某メガバンクに勤める友人にこの話をしたところ「自分はまったくそのような経験はない」とキッパリ。やはりバカは「人による」ようなのであった。(嘆))


かっこいいこと。

人生にはいろんなことがある。
失敗。
挫折。
不注意。
事故。
落とし穴。

多分何もない、平たんな人生などないだろう。
そうした中で、光る言葉をこの年にして感じる。

ビハインド。
アウェイ。
巻き返し。
取り戻し。

人生は解釈の中に自らの意味を見出すようなこともある。