藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

背景を知る

室伏選手のインタビューより。
「今はストレスをかけられた経験のない若者が多い」という一言に集約されるだろうか。
人生常に自分に負荷をかけて、成長をこころ掛けなければならない、ということを自分たちも日常忘れてしまいがちだけど、その方法についてもマニュアル的なステレオタイプでは通用しない、ということを自分たちは何となくは感じている。
だってヘンに重圧をかけても効果ないし、かけないとかけないで緩みっぱなしになるし。

 その選手のバックグラウンドやものの考え方が分からなければ、強化方法の良さだって理解できない。ただトレーニングプランを見てまねしてもだめなんです。100人やってなぜその人だけが強くなるのか、それにはそれに合うバックグラウンド、こういうところはとことんこだわるとか、背景を理解しないと。同じ釜の飯を食って分かってくるところがある。武者修行、合宿っていうのはそういうものだと思う。座る姿勢、立つ姿勢、全部です。なぜ前かがみなのか、背中が疲れているのか、ああいう練習をしたからか、いろいろ見えてくる。観察も大事です。どういう感覚を持って、どういう人間なのか、その人を知ることです。

「バックグラウンド」と「ゴール」と「観察」(フィードバックか)が密接に関わっていることが窺い知れる。
「100人やってなぜその人だけが強くなるのか、それにはそれに合うバックグラウンド、こういうところはとことんこだわるとか、背景を理解しないと。」
ということは、何より「今の自分を客観的に知ること」と「どこへ目標を持っていくか」という二つが主軸になる。

それはたぶん自分たちの仕事とか生活でも同じことで、「今の自分がどう」だから「こうあるため」には何が必要か、というようなことを立ち止まって考えねばならないのである。
アスリートたちのように厳しい日常ではないから、「そういう厳しい目」を自分に対して持つというのはなかなかできないことだけれど、だからこそ価値のあることなのでもあるのだろう。
秋の夜長。
さて自分には何が必要だろうか。

東京五輪、日本が変わるチャンス
2020年東京オリンピックパラリンピックに向けた建て替えのために、31日、歴史に幕を引いた国立競技場。旧聖火台を磨くイベントを毎年行うなど関わりが深く、陸上男子ハンマー投げでは7日の日本選手権で20連覇を達成したキャリアを持つ室伏広治選手に、「国立」とスポーツへの思いを聞いた。(聞き手・編集委員 結城和香子)


「国立」で開いた世界の扉

 ――国立競技場との関わりを。

 父(アジアの鉄人と言われた室伏重信氏)に連れられて、小さい頃から行っていました。だから始まりは覚えていないぐらいです。階段を上ったり下りたりして、遊んでいたのを覚えている。あとあの、(VIP席の)バックにある女性の壁画は、勝利の女神ニケとは知らずに見ていましたね。

 ――1991年の世界陸上では、国際陸連の旗を持って入場するひとりに抜てきされた。

 あれは高校生の時です。インターハイ優勝者から何人かが選ばれた。高校2年の時に静岡のインターハイで優勝した選手から、確か6人が旗を持って、2人が炬火きょかをやった。その後競技も見せてもらった。できるだけ毎日行きましたね。メインスタンドにインターハイ優勝選手のコーナーが設けられて、幅跳びも、男子100メートルの決勝も見た。カール・ルイスの世界記録もです。

 参加した選手が、競技を終えてスタンドで観戦している時に、自分から行って話もした。投てき、ハンマー投げなどのメダリストとです。世界で戦うトップ選手の、仲間入りをしたいと思ったからでしょう。記録を投げるだけがトップ選手の仲間入りじゃなくて、もちろん記録で扉を開けることも大事ですけれど、文化や言葉を乗り越えて体で体現する、クロスカルチャーなスポーツの良さを体感して、その扉を開けていくことが大事だと思ったからです。

 僕も今、スタンドで見たりしていると、海外でもよくピンバッジを欲しいって言われる。同じです。出来るだけ多くの選手と話をし、写真でも、ピンでも握手でも何でもいい。自分から扉を開けていくことが、若いアスリートには大事なんです。日本の若い選手はなかなか行かない。あ、(有名選手が)いるいる、なんて言うだけで。その時選手と話をしてどういう印象を受けたかが、自分の記憶になるんです。

 僕の場合は父の影響もあるでしょうね。(室伏重信氏が出場した)ロサンゼルス五輪も9歳の時に見に行っていますし。いろんな人に会って、自分で扉を開ける努力は必要だと思う。せっかく競技で強くても、ただ優勝して帰ってきたとか、もったいないですよね。(文化を超えて交流する)オリンピックの精神を体現するのは、日本人がまだ苦手としているところかもしれない。

 ――トップ選手との交流で得るものは。

 その選手のバックグラウンドやものの考え方が分からなければ、強化方法の良さだって理解できない。ただトレーニングプランを見てまねしてもだめなんです。100人やってなぜその人だけが強くなるのか、それにはそれに合うバックグラウンド、こういうところはとことんこだわるとか、背景を理解しないと。同じ釜の飯を食って分かってくるところがある。武者修行、合宿っていうのはそういうものだと思う。座る姿勢、立つ姿勢、全部です。なぜ前かがみなのか、背中が疲れているのか、ああいう練習をしたからか、いろいろ見えてくる。観察も大事です。どういう感覚を持って、どういう人間なのか、その人を知ることです。


聖火、アスリートの心の象徴

 ――聖火台を磨くことになった経緯を。


2012年ロンドンオリンピック陸上男子ハンマー投げで銅メダルに輝いた室伏広治選手(左)(2012年8月5日)=代表撮影
 あの聖火台っていうのは(埼玉・川口の鋳物の名工の)鈴木萬之助さんが作ろうとしたものです。1964年東京五輪の前哨戦となった、58年のアジア大会に間に合わせようとした。ところが鋳型が、湯入れの時に割れてしまい、そのショックで萬之助さんは8日後に亡くなってしまう。引き継いだ息子の文吾さんが、何とか間に合わせて作ったというのが今の聖火台です。

 文吾さんは、2008年に自身が亡くなる前まで、奥さんと一緒に磨かれていたそうです。知人から聞いて、そんな話があったなんて知らなくて、これはぜひ知ってもらうべきだし、なぜアスリートが磨いてこなかったのかと思って。是非一緒に磨きたいと申し入れ、そういうイベントを始めた。文吾さんが亡くなられた次の年からです。

 ――アスリートが磨くべきと。

 なぜそう思ったかと言われても、それは逆に難しい。聖火っていうものが、特別だからじゃないですか。古代から、ギリシャでも、火を燃やす儀式があり、特別な何かがあった。五輪で聖火を継いで、大会期間中燃やし続けている意味がきっとあるわけです。それはオリンピックの聖地の象徴であって、我々の心でもある。自分の、目指すべき心の象徴ですよ。磨きたい気持ちはそこにあるんじゃないですか。目指す目標の、映ったもの。体と精神のバランスを目指しているのがアスリートで、その高みの象徴じゃないですかね。燃えているところを見ると、私は何か特別なものに感じます。

 ――子どもたちとも、一緒に磨いた。

 大人だけで磨いてもつまらないじゃないですか。子どもも一緒に磨いて、触れて、大切にするっていうことを感じ取るわけです。一緒に磨くと、皆が一つになる。めったに機会のない聖火台に触れる機会にもなる。聖火台が象徴するものを感じて欲しいとも勝手に感じます。我々よりずっと柔軟性がある子どもたちですから。気持ち良かったとか、また来たいとか、掃除するのが好きな子ばかりじゃないだろうに、とてもいいフィードバックです。トップアスリートや子どもが一緒に磨く機会になった意味でもユニークな活動だったと思います。

 ――東日本大震災の後、岩手・石巻の学校の生徒たちも招待した。

 招致の最中でもあり、東京2020年のオリンピックは復興のオリンピックをも目指していたわけだから、当然ですよ。東京だけでなく、被災地を忘れないとの思いも込めた。

 ――スポーツには、子どもたちにもう一度顔を上げてもらえる何かがある。震災の直後の体験を。

 石巻に行ったのは6月、震災からまだ3か月しかたっていない時期だった。全然復興どころか、ダメージそのままの状態だった。街中で、海や魚の臭いがしていたり、どうやって復活するのか、という大変な状況だった。

 現地の人が何を欲しているのかも分からないのにいきなり行って、どう映るんだろうっていう躊躇ちゅうちょもあった。ただ、たまたま向こうで、ミズノの陸上クリニックをやっていたこともあって、来て欲しいって向こうから言って下さったので、行かせていただいた。その時は、もう声の掛け方も分からないし、がんばれよなんて言えるような状況じゃないわけですよね。ですけど、自己紹介をしながら話をして、体操して、リレーをして…とやっていくうちに、笑顔を取り戻して行く姿を見て。何か、スポーツにはそういう力があるんだなあと、思いましたね。

 友達を亡くし、以来心が開かなかったような生徒が、手紙を書いてくれたり。行動できるようになっていくのを見て、ああ行って良かったなと、交流を持って良かったなと思いました。

 ――東日本大震災の後、多くの日本の選手が自身に何ができるのか、スポーツとは何かを考えた。

 選手はあれから、随分変わったと思う。例えば、インタビューの答えが皆変わった。答え方が、自分だけのためじゃなくなりましたよね。サポートしてくれる人の話がまず出てくるようになった。その前はそうじゃなかったと思います。人っていうのは、実はいろんな人に支えてもらっているのだと、人として、アスリートとして震災を通じ感じたのでは。そして、支えてもらうだけじゃなくて、逆に自分が支えることもできるのだと。スポーツの力によって人々を支えたり、勇気づけるメッセージを送ることもできると感じた。それが、答え方の大きな変化になったと思う。


ロンドンオリンピック陸上男子ハンマー投げの表彰式で銅メダルを首から下げる室伏広治選手(右)(2012年8月6日)=多田貫司撮影
 ――ロンドン五輪ではそんな思いが選手たちの力になった。室伏選手自身も、石巻の生徒たちからの寄せ書きを持って臨んだ。

 スポーツは自分だけのためじゃなく、もっと大きな力があることを自覚した。ほかの人たちを励ますことができるとか、自分が頑張ることで、それを見て、前向きになろうと人に思ってもらえることができるものなんだと。人の心を打てるような戦い方をしたり、力を出し尽くすことで、心を動かせるのであれば、それは一番、最高のことなんだと。僕の場合、ただ鉄の球を投げているだけ。早く走り、鉄の球を投げ、選手はただそれだけのことをやっているのに、価値を持たせることによって、人の心を打つことができるんです。ゲームがゲームじゃなくなってきている。考えてみれば、おかしな話ですよね。


スポーツで見いだした価値

 ――スポーツをしてきたことで、室伏選手が人として得たもの。

 逆にスポーツやってなかったらどうなったかと思いますよね。恩師とかに聞いてみて下さい。スポーツやってなかったら、全然もうだめです。失格ですよ。

 一つのことを獲得するのに、一つのことを犠牲にする、そんな一面がスポーツにはありますよね。何でも好きにして記録が達成できるわけじゃなく、やはり自分に何かを課して制限する。それに対して価値を見いださなければ、できないことです。

 人間っていうのは、ゼロから価値を見いだすようなところがある。自分の場合、鉄の球を投げるのに価値を見いだして、なんでこれだけ犠牲にできるのかっていうのはありますよね。不思議です、自分でもなぜかは分からない。それは、自分が上達していくことの喜びであったり、自分が精神的にも向上していく思いだったり。人だからそういうことができるんだと思う。

 父がよく講演で言っていますが、抵抗の負荷をある程度かけていくと、その負荷に慣れて、何でもなくなる。少しずつそうして、肉体だけでなく精神的にも、多少のストレスを与えることによって、そのストレスに慣れ、徐々に強くなっていく。

 今、子どもたちに対しては、暴力は絶対だめですが、家庭も含めて厳しいしつけや指導をほとんどしない。だから、あまりにもストレスを経験していない子どもが多い。無菌状態なので、ちょっとしたことで我慢できなくなってしまうこともある。人はある程度のストレスを、上手にかけていくことによって成長する。スポーツはその最も分かりやすい形で、1年前にできなかったことが、練習をしていくことでできるようになる。実感として、数値として分かる。これも言い方を変えるとストレスなんです。かけ方を間違えてはいけないけれど、なさ過ぎてもいけない。

 まあ年齢がいくと、今度は体をどう維持するか、壊さないようにするにはどうするか、さらにストレスのかけ方が難しくなっていくわけですけどね。僕は研究者ですけれど、実践と両方あって初めて生きると思っているので、やれるところまで(現役を)やりたいと思っています。

 ――今、社会にとってのスポーツの価値が高まっている。

 旧石器時代の人間の運動量・食事摂取量の割合と、今の人間のカロリー消費(運動)と食事のバランスを考えると、多分ここ数十年の間に劇的にスタイルが変わったはずです。体をあまり動かさなくても食事を得られるようになった時代は、かなり最近の話だと思う。以前は体を動かす文化みたいなものが、労働の中にあったんです。

 日本でも、田を耕したり、何時間労働を続けても体が壊れないように、そこには「型」があったと思う。武道にも、農業にも、踊りにも、すべての分野に共通した、体を使う文化です。「型」というのは、例えば、おいどを落とすって踊りで言うように、重心を落とす。武道でも、労働でも同じで、1日働いていなきゃいけない時に、そうでないと体が持たない。何かそういう、体の文化があったはずです。そういうものが今はない。

 今我々は、体を使わない文化を選んできている。文化は頭の方の文化になってきていますよね。体をあまり動かさない暮らしが続くと、そのためいろいろなバランスが崩れる。当然、脳には使わない部分もでてきて、バランス良く体を使わないことによる精神的な病のようなものが増えていく。

 だから、こうした肉体と精神のバランスをつなぐものとして、今の社会ではスポーツが注目されている。もう一度昔の農耕に戻れといっても不可能だし、せっかくここまで文明を発達させたわけだから、スポーツによって体を動かしてバランスを獲得する。その喜びは、労働をするのと似た、汗をかいて、何かを得る喜びです。エネルギーを消費しているのに何かを獲得している感があるなんて、何とも不思議ですが。


国を超えて、皆が一つに

 ――室伏選手は東京オリンピックパラリンピック組織委員会の理事でもある。大会開催を契機に、社会や人々にどんな変化をもたらしたいと感じているのか。

 何より感動してほしい。世界が注目するイベントが日本に来て、世界の選手も直接見られる。違うんですよ。テレビとは。それが、自分でスポーツをするきっかけにもなるでしょうし。

 あと日本にとっては、国際化を通じて、さらにひとつ上の成熟を目指せるチャンス。日本には、若者にも、自分の思いを言いにくかったり、主張しにくかったりする人がまだたくさんいる。世界に類のない高齢化社会になっていく中で、若い人の意見はとても大切。若い人たちが活発にリーダーシップを取っていけるような、きっかけになるといい。世界が日本に来る、日本が変わるチャンスだと思いますね。

 日本らしさを強調するより、まず国際的な視野を持つこと。自然とそこで日本のアイデンティティーが見えてくる。まずクロスカルチャーに足を踏み入れることで、そのきっかけになるのが、オリンピック・パラリンピックでしょうね。国を超えて、皆が一つになれるのがオリンピックですから。

 国際化により、視野も活躍の場も広がる。それによってまた、日本というものの良いところもさらに伸ばされるし、残っていく。例えば車のデザイン。有名な自動車メーカーのデザイン部門には、国籍に関係なくさまざまな人がいる。BMWだってフェラーリだって、多様性がぶつからないといいものが生まれない。日本の文化だって、海外の人に教えられることがある。日本文化を守るのは、日本人だけとは限らない。文化というのは今に至るまで、そうして残ってきた部分がある。

 スポーツでも国際化が進んで、多くの選手が国外でも活動している。日本が優れた種目では特にそうです。外に出て行っているから強くなっている部分があるのは間違いない。

 ――室伏選手にとってスポーツとは。


「極限まで自分を高められるのがスポーツ」と語る室伏氏
 スポーツぐらいじゃないですか、体を使って極限まで、自分を高めることができるのは。自分の良さや能力を開発していくのは。

 選手にとってのスポーツとは、何を目指すのかのステージによっても違う。始めた頃は、全国大会優勝でメダル取るようになって、スポーツにもっと大きな力があるということを知って行く。

 目的、目標を定めて、最短のコースを描けというのが自分の信条。ただ、そこには目的と目標の両方があって、メダルを取るというのはそのうちの目標に過ぎない。目的のほうがもっと大きいんです。それが、被災地の人々の復興とか、もっと大きいものになっていく。メダルはそのツールにすぎない。僕はそう思うんです。

 スポーツ自体も、そうかもしれません。もっと大きなものを目指すための、一つのツールに過ぎないのかもしれない。

 ――日本という社会が、オリンピックというツールを使って、目的を見つけていく。

 そう、そういうことです。もっと大きいものを達成するために、生かしていければと思う。

プロフィル
むろふし・こうじ
 陸上男子ハンマー投げアテネ五輪金、ロンドン五輪銅。東京五輪パラリンピック組織委理事。中京大准教授。ミズノ所属。39歳。
2014年06月10日 10時13分 Copyright © The Yomiuri Shimbun