藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今を感じること。


どうも「その時代をリアルに生きる人」というのは、その時代のことをリアルには語れないものらしいという話。

だって戦争の体験談も後から聞けば実にリアリティに富んでいるけれど、当時の人には「ただ流れていく現実でしかなかった」というのがほとんどである。
歴史は後からから眺められないものかもしれないけど、今をリアルに生きている自分たちは、ただ「数十年後の自分たちを待つ」のではなく、今だから「今ってどんな時期なのか」ということを真剣に考えてみる必要があるのじゃないかと思うのだ。

大きな流れは好景気に向かっているのか、とか
自分の日常ってそれに関係して「何か変化しているだろうか」とか
さらに実は(世界的にとか)もっと大きな流れがあるのかもしれないな、とか。

折角生を受けて"今"を生きているのだから、日々の生活を過ごす以外に「時代としての"今"を考える」ような意識はもっと必要ではないのか?などと思う。

なぜそんなことを思ったのかと自問すると、実は自分が一番「それが分からない」からだ。
史上で一番豊かな時代、というのは確かにそうだと思うけれど、数十年後、百年後から見ればまた別の意味もあるだろう。

戦時中を体験した人が今語るように、今の時代を今自分はどのように語れるのだろう。

何かちょっと自分が焦っているのかもしれないけど。