藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の荷物を考える。


人は脳が大きい。だから悩む。
ゲーテが何と言ったかはともかく、多分昆虫とかは悩んだりはしていなさそうである。
人間は特に思春期あたりから悩みはじめ、多分老いるまで悩んでいる。
ただし高齢になるとそれなりの胆力が備わって、あまりきゃあきゃあ言わない。
だから老人は風格があるのだ。

自分たちは悩むとそれをため込む。
溜めずにそのまま悩みっぱなしでリセットできればそれは立派な"浄化"であってあまり問題はない。
よく女性が大泣きして、翌日ケロリとしているのはそんな感じだ。

で、多くの悩みはすぐには解決がつかず心に溜まってくる。
いわゆるストレスだ。
体の小さいか大きいかに関わらず、突然「重たいもの」がのしかかってくることもある。
まだ重い荷物を抱えているのにさらに幾つもいくつも新しいものが降ってくることもある。
自分のこと、自分の将来のこと、彼氏彼女のこと、家族のこと、友人のこと、お金のこと、その他いろいろ。
人によって色んな物を背負っている。

そんなことを時々考える。
今の自分の荷物って何だろうか。
その荷物を軽くすること。
あるいは、"よし、あの荷物も背負うか"と考えること。
自分たちの心の日常はそんな作業ではないだろうか。
背負い過ぎても潰れてしまうけど、ただ軽ければいいってもんでもない。

自分が荷主であり、運び主でもあるのだから、「このくらいなら大丈夫」とか「もっと軽くしよう」とか自分の心の荷台をコントロールしてあげるような意識があればいいのじゃないだろうか。
あんまり荷物が重いときは休憩して、時には少し置き去りにすることもあるかもしれない。
背負いきれない荷物を積んでいても動けないものだ。
自分の心に荷主を持つのは大事なことじゃないだろうか。