藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

マイノリティへのあこがれ。


先日クリエイターの人たちと飲んでいて「悪事のモチベーション」が話題で大いに盛り上がった。
よく"悪の枢軸"とかの表現でリアル社会でも話題なるけれど、あの悪への追究心はどこからくるのだろう、とか。
悪事って、人様から咎められ、隠し事をしていて「秘め事的」なドキドキ感を誰しも持ているのだろうという結論に達した。

世界を征服してやる、とか現政権を転覆させてやる、という動機はもしそれが成し得た暁には「今の統治者と同じ悩み」を自分が背負うことになるわけで、地球を征服したヨミ様は、その後自分の世界で「貧困とか諍いとか勢力争い」に頭を悩ますことだろう。
その姿は「悪ではない世界」と全く同様なはずである。

そういう意味では「悪の追求者」は、その目的が達せられた途端に動機を失い止めてしまうのではないか、つまり今の政治のリーダーよろしく様々な諸問題に頭を悩ますのに違いない。

けれど悪のリーダーだから、"さらに悪"なことを考えて追求してゆくのではないか。

"彼(悪の親玉)は常にマイノリティのリーダーたること"を欲しているだけで、実は世界征服などは望んでいないのだ、という結論に達したのである。

世にヒーローものは多数あれど、マイノリティがマジョリティになってしまっては物語は続かない。
そういう意味ではマイノリティは、物語には必須の登場人物であり、それはまた今の現実社会でも同様の意味があるのじゃないだろうか。

世の中は常に一色ではなく、必ず「反対色」のようなものが存在し、多数の思いとは反対の振舞いをしてマジョリティを困惑させる。

しかしマイノリティの彼らがいない社会はペタッとした単色で、またそれではその先の発展もないのかもしれない。
そんな「多数派vs少数派」の構図が社会とか自然界の原理であり、自分たちの現実社会は常にそうした矛盾を含みながら進行してゆかねばならないのじゃないだろうか。

漫画とか小説の世界はそうしたテーマを分かり易く暗喩しているしているから面白いのに違いない。