藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

資格とか規格のこと。ルールの意図。


サッポロビール製造の第三のビールの税金のニュース。

世の法律の大元になるのは"公序良俗"だという。

資格とか免許とか規格とか、特に国の法律の定めにあるものは一目置かれる。
車の運転は免許が必須だ。
その他にも色んな資格がある。
規格もある。

そしてしばしば「その資格とか規格」が自己目的化してくるものだ。

自分は以前から「そこ」に違和感を感じる。
ある専門的な仕事をするのには、一定以上勉強や実務を経験したスキルが必要だ。
消費者が使う製品の品質にも一定の品質があった方がいい。
それはよく分かる。

それがどんどん効率化されてゆく。
いつしか「資格さえあれば」「規格さえクリアすれば」という功利主義的な考え方に先鋭化してくる。

国や業界の定めた基準を意識し、効率化を考えれば「そこさえ満たせば合格だ」という意識が働く。
さらに「基準を上回ることを志向するかどうか」というのは、当事者の志いかんになってくる。
実利主義の人から見れば「意味のない努力」と言うかもしれない。

けれど今の時代は衣食住、あるいは職業、どれをとっても「最低限の基準を満たすかどうか」は決して本題ではないのじゃないか。
害や事故が起きないための最低限の基準を満たせば「それで終了」ではなく、「それ以上の何か」を消費者は期待しているのだと思う。

それはもののデザインかもしれないし、アフターサポートかもしれない。
あるいはさらなる安全性とか、耐久性とか使い心地かもしれない。
「付加価値」という四文字の漢字にしてしまうとぼやけてしまうが、少なくとも「規格のクリア」がゴール地点ではない。
税制の基準の問題とか、薬事法などの法律の規制の問題などを聞くたびに、「規格をどうクリアするかというテーマ」と「なぜその規格があるのか。目的は何だったか。」と言う両サイドで考えないと、単なる「規格専門バカ」に陥ってしまうような気がするのである。

そのような「規格の見張り屋さん」というのは、あまりクリエイティブではなく、実は楽しくないのではないか、などとも思ったりする。
第三のビールとか、お酒への課税方針を聞いても、あまり納得性のある回答には出会わない。
ルールを守ることは大事だが、ままよ!とばかりもうその「基準こそありき」なお話を聞いていると、いったい主役は誰で、何のための規制だったのか?ということを考えずにはおられない。
いつの間にか「基準こそが守るべきモラルだ」というスコア論者にならないようにしたいものである。

酒税115億円は返還せず 国税サッポロビールに書面2015年4月28日20時26分

サッポロビールは28日、第3のビールとして出荷していた「極ZERO(ゴクゼロ)」をめぐって納めた酒税115億円について、国税当局から「返さない」との趣旨の書面を受け取ったことを明らかにした。返還を求めていたサッポロは異議を申し立てるかどうかを検討していく。
 国税庁酒税課は「個別の案件はコメントできない」としている。
 極ZEROについてサッポロは、国税当局から「作り方が第3のビールにあたらない可能性がある」と指摘され、昨年5月の製造分で第3のビールとしての販売をやめた。作り方を改めて、税率が高い発泡酒として昨年7月に再発売した。
 第3のビールとして売った分については、指摘に沿った税率との差額115億円と延滞税1億円を一度は納めたが、その後の社内の検証で「第3のビールに間違いない」と判断し、今年1月、国税当局に115億円の返還を求めていた。