藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

バーチャル世界の後始末。

facebookがトビ主亡き後の相続人指定機能を導入するという。
思えば著作などをウェブに上げている人たちが、自分が亡くなった後にどう利用してもらうか、というのはいちいち生前にウェブに書き込んでおくのは難しい。

内田樹さんのように「引用・転用・剽窃全て可」を標榜できる人は問題ないが、特に偉大な作家とか企業の研究者などであれば知財の管理には争いがあり得ると思う。

一見ウェブに公開しているから、それはもう「公知の知識である」と思いがちだが、公開されていてもどっこい著作権他の知的所有権は発案者の物である。
歌や絵画と同じで権利を相続した遺族が、後から物申すということも多々起こっているし。

さて著作権もともかく。
自分もブログなど書いているけれど、自分が突然いなくなり、このエントリーたちは死後どうなるのかと思うと妙な気分だ。
消してもらっても改修してもらっても結構だが、肝心の更新者がいないとなれば「ただそこにupされているだけのテキスト」でしかなくなる。
ブログとかSNSとかはある意味"その当人が生きているからのサイバー世界の象徴"であって、当人が消滅してしまえば単なるデータでしかなくなる。
もうそれ以上更新されないのだから。

今はもう何十年も合わなくとも、年賀状での挨拶よろしくSNSだけで互いを確認していることも多いから、自分の亡き後閉鎖するにしても誰かが引き継いで「その後」をリードしてくれるのは有難いことである。
リアル世界でも相続の話題は昨今耳目を集めているが、ウェブに色々な軌跡を残す比重がこれからも高まるだろうし、バトンタッチのシステムが登場してきたのは当然であり有難いことであると思う。

それよりも何よりも「引き継ごう」と思ってもらえるコンテンツ作りが必要なのは言うまでもないことだ。

フェイスブックに「相続人」機能 死後の管理を一任
サ ン フ ラ ン シ ス コ = 宮 地 ゆ う 2 0 1 5 年 2 月 1 4 日 1 1 時 3 3 分

ソーシャルメディア最大手のフェイスブックは12日、フェイスブックの利用者が死亡し
た場合、その後の管理を任せる「相続人」を指定する機能を米国で導入したと発表した。今
後、米国以外にも順次広げるという。
フェイスブックによると、新機能は、利用者が亡くなった場合、あらかじめ指定しておいた
友人や家族などの相続人が、亡くなった人のページに葬儀の日時を書いたり、追悼の言葉を書
き込んだりできる。また、プロフィルの写真を変えたり、過去の投稿や写真をダウンロードし
て保存したりすることもできる。ただ、本人がやりとりした過去のメッセージを読むことはで
きない。
フェイスブックはすでに、利用者の死亡を証明する書類を受け取った場合にはアカウントを
凍結したり、家族の依頼で削除したりするサービスを行っている。ソーシャルメディアは死後
の管理が課題になっており、それに対応したものだ。(サンフランシスコ=宮地ゆう)