藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

逆転の思考。

イトイ新聞、気仙沼のこと。
災害はないに越したことはないが、そんなことがあったればこそできることもある。

しばしば事業は撤退するのが一番難しい、と言われる。
経営相談の内容なんかを聞いても「何を選んで、何を捨てればいいのか」「諦めるのはどの時点か」「事業が一つしかない場合はどうするか」といったことへの悩みは多い。

要は撤退とか集中とかの「決断」の問題だが、世の中は時間が連続して流れているから、何の前触れもなく突然リセットするというのは実に難しい。
却って乱心したなんてことにもなりかねない。
あるリスクを取るかとらないか、という決断も覚悟が必要だけれど。
「結果が出るまでやり続ける」なんて格言もあるし。

だから何かのきっかけがあったらそれをチャンスに変えることを考える。

毎日毎日、何かの事件を意図的に作り出すのは大変だからこそ、「起きたこと」を大事にして「契機」に帰る。
そう思えば毎日日常で起きていることは結構何かのチャンスに使えそうだ。
特に失敗とか新たな知識とかに触れた時はチャンスではないだろうか。
昔先輩がリストラに会った時「ピンチはチャンスよ」と言っていたのはそんな意味だったのかもしれない。
ピンチの時にはそれに頭が囚われて「そのこと以外」には思考が及びにくいものだから余計に大事なことなのだ。

なんでもチャンスにしてみたい。

ほぼ日刊イトイ新聞
・昨日は、「RIVER」創刊号発行記念の
 シンポジウムと交流会という集いに、行ってきました。
 説明すると長くなるので、端折りに端折って言うと、
 四国の四万十はじめ高知で活躍するデザイナー
 梅原真さんたちのやっていることを、
 勉強したいと思って押しかけていったのです。

もし、ついでがあるならば、と、
 気仙沼「斉吉商店」の斉藤和枝さんと、
 「気仙沼ニッティング」の御手洗瑞子社長を誘いました。
 ついではなくても、ぜひぜひ、と、
 気仙沼から東京の築地まで駆けつけてくれました。

東北の震災があったときに、ぼくはこう思いました。
 「東北の震災からの復興は、
  日本中の地方の人たちが
  この先やらなきゃいけないことを
  先にやれる最大のチャンスになるのではないか」と。

ぼくらの知っている、例えば気仙沼は、
 震災に襲われなければ、なにもかもがうまくいってたか、
 といえば、とてもそんなことはないわけです。
 全国のどこでもそうであるように、
 さまざまな問題をたっぷり抱えた、ひとつの地方でした。
 だから、復旧でなく復興を、というスローガンは、
 みんなが心から願っていたことだったはずです。
 でも、あれから4年以上の月日が流れて、
 実際に新しい価値を生み出しつつあるかといえば、
 なかなかそういうふうには思えません。

そんなときに、震災よりずっと前から、
 都会から遠く離れた不便な地域で、新しい価値の芽を、
 次々と芽吹かせていた人たちがいるのを思い出します。
 梅原真さんを中心にした「四万十」の人たちです。
 不利を有利に、不便を魅力に、化けさせてきた物語を、
 ぼくも少しは知っていました。
 「気仙沼と、四万十が、東京で会う」ことが、
 なんだかまた、新しいことにつながる気がしたのです。
 その先、なにがどうなるか、どんな魔法が見られるか?
 梅原さんと、和枝さんが抱き合った日が、昨日でした。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
次は四万十に行って、あの空の下、あの川で会いましょう。