藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

外のことは気にしていない。

イトイ新聞より。
典型的なのは料理人とか。
自らの料理を求道する。
だから業界としての外食ビジネスとか、最近の流行りとかを知らない。
というかそもそもあまりそうした周囲に興味もないようだ。

そういうことよりは、自分の作る料理とか素材とか、季節の獲物とかいう自然の恵みのことを考えている。
翻ってこういう話はビジネスでも同様だ。
他所の会社が何か新しいことを始めたとか、新しいお客と提携したとかいう話にはつい過敏になりがちだが、長期的にみればそれほど関係のある話ではないことが多い。
それよりも自らの足元が固まっているかどうかということがよほど重要なものである。

業界の評論家であるよりも専門家でありたいと思う。

・さまざまな専門という領域があって、
 長いことやってきたという意味では、
 ぼくは、広告のことについて
 おそらく「専門家」ということになっている。
 しかし、よくよく考えてみたら、
 広告の仕事を毎日やっているころから、
 広告の業界だとか、流行の広告理論だとかについては、
 ちっとも詳しいわけではなかった。
 じぶんでつくる広告については真剣だったし、
 他の人のつくった広告についての批評も、やればできる。
 しかし、ぼくは、業界に詳しい「専門家」ではなかった。
 広告のあれこれについてコメントするには、
 じぶんで言うけど、知識や情報がなさすぎたと思う。
 広告界の現状を知っている必要もなかったしね。
 
 そういうことから考えると、
 いろんな業界に長くいる人が、そのことについて、
 なんでも知っている風に語るのは、実は無理だよね。
 写真家が、他の写真家の作品をどれだけ知っているか、
 と言ったら、そんなには知らないと思う。
 業界の情報を仕入れているとか、
 写真集やら展覧会やらを観ている時間があったら、
 じぶんの仕事をしているはずだからね。

 近所の、とてもおいしいコロッケをあげてるおばちゃん。
 じぶんのところのコロッケだったら、
 じゃがいもの仕入れだとか油の温度だとか、
 いろいろ語れるということに、なんの不思議もない。
 でも、よそのコロッケを食べ歩きしてるわけじゃない。
 だとしたら、全国のコロッケについて語るのは無理だ。
 
 そのジャンルのことを、なんでも知ってるというのは、
 「なんでも知っている」を商売にしている人か、
 「なんでも知っていたい」マニアなんだろうと思う。
 「本職」と「専門家」は、まったく別なのではないかな。
 
 「ほぼ日刊イトイ新聞を17年も続けているイトイさん、
 インターネットは、あるいはSNSの世界は、これから?」
 というようなことは、訊かれても、ほんとは知らない。
 じぶんちのコロッケをどうするかばかり考えてますから。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
バルミューダさん、他のトースターより、パンを見ていた。