藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

八割で伝わる工夫。

他人とのコミュニケーションはそれが会話であれ、スピーチであれ、プレゼンであれ到底100%は伝わらない。
だから9割とか8割程度の伝達率でも、「相手に理解してもらえたかな?」という辺りのさじ加減というか勘所が必要になってくる。

「あなたは本当に私の言うことを理解してくれましたか?」と言いつつ相手にチェックシートを渡してその場で採点するなんて難しい。
「私はあなたが好きです」と意中の人に伝える時も、8割程度のニュアンスでしか相手に届いていないのはよくあることだ。

未だに伝える力、とか聞く力、とかいうことが話題になるのも無理はないことなのだと思う。

翻って自分自身の場合はどうだろう。
円高が株安をもたらした、とか
利上げが先物市場から資金を引き揚げさせている、とか聞いて何となく自分の頭の中では分かったような気になっているけれど、本当にどこまで理解できているのかと思うと甚だ怪しい。

経済のことは特にそうだけれど、日々生活している中でも自分はよく知らないことだらけの中にいる。
今こうして向かっているパソコンだって、ある程度の仕組みは知っているつもりだけど「じゃあ設計図が描けるかね?」と言われたらお手上げだ。

自分たちはよく知らないものの中で暮らし、またよく分からない世の中で生きている。
そして他人に対しても「よくは分かっていない前提である程度の思いを伝えている」ということになる。

なんだか心許ない感じになってきたが、だから「"8割方を確実に伝えあうこと"で社会が成り立っている」という風に見ると何となく楽になる。

もともと100を伝えようとして100近くを期待するから、相手がどうのとストレスになる。
自分が表現できるのは80まで。だからその80で十分に伝わるように表現するのが「伝える力」ということなのに違いない。

よくて八割。
それを毎回目指すことにします。