週末に立て続けに映画を観た。
ハリウッド物と日本の売れ筋とマイナー作品。
ストリートのコント作品と巨大な劇場の芝居、くらいに構造の違った映像を見終わって。
素晴らしくお金のかかったハリウッドに、どうも虚しさを禁じ得なかった。
ひょっとしてもうデジタルの限界なのではないだろうか。
もう映像では表現できないものなどないくらい、精巧で壮大なCG。
宇宙でも海底でも未来でも過去でも、もう表現できないものなどなさそうだ。
これがVRとかになって、そこが終わりだ。
自分が「本当にその空間に入って見物」する以上のことは起きないだろう。
それに反して。
作品の物語性は、とっても低い。(新規性がない起承転結)
だからNetflixとかfuluが台頭しているのが腑に落ちた。
小説やアニメの出版はまだまだ続いているから、これからは余程の「文学的工夫」がないとハリウッド式の興行は早晩行き詰まるのではないかと思った。
もちろん制作費が二桁も違う日本ものの危うさも言うまでもないだろう。
これからは作家の時代なのではないだろうか。