藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

キョロキョロしてる。

*[次の世代に]何にハマりたい?
ほぼ日より。
今ごろプリンスにはまり始めているという糸井さん。
でもそういう「自分の知らない好奇心の罠」みたいなものはいたるところにある。
街中にもネットにも。
「そういうの」に引っかかる。毎日毎日。
だからそういうのが本当に「引っかかってよかったものかどうか」を反省して「やめときゃよかった」というものに次からは引っかからないようにと、心する。
お笑いとかバラエティなんかは典型だ。
 
同様にさらに大事なこと。
ゴルフ、競馬、麻雀、スポーツ観戦。
さらに酒タバコに美食。
どれもはまりだしたら、定期的に、ほぼ永続的に「数時間ずつ」を削り取られる。
そりゃ美味しいものを食べるんだからいいじゃないか、と思えたらそれでいい。
けれどどうせハマるのなら「なんとなく楽しい」ではなく「どハマりしたいもの」を探したい。
それに人生を費やしてよかったなと、後から思えるやつだ。
それがぴったり探せたら、それで人生丸儲けではないかと思いませんか?
 

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・もうある程度の年齢になってくると、
いま見ている世界で十分以上に広すぎるので、
新しいことは知らなくてもいいという気にもなります。
年齢とか関係なく、若くてもそう思っている人は、
たくさんいるんじゃないでしょうか。
それでも、貧乏性なのか、道に光る金属があると
「あっ、お金だ!」とつい拾ってしまうかのように、
おもしろそうな情報に飛びついてしまいがちです。
 
ま、だから「ニューヨーク公共図書館」のことも、
「ショーン・タン」という人の絵本のことも、
銀座のラーメンの店「八五」のことも、
知れたわけだから、それはそれでいいんですけどね。
そういう次々に見つかってしまう光の点のような情報も、
他の光る点とつながり合って、星座が描かれたり、
それに関わる人びとと知り合いになって、
また新しいなにかが生まれることにもなったり、
「たのしいことの総量」は増加していくのだから、
これはもう、やっぱりやめられないのでしょうかねー。
ほんとは、「いま見てる世界でも広すぎる」のになぁ。
 
というようなことを思っていた金曜日に、
また、「わぁ、知らなくてもったいなかった」と、
あらためて思うような光の点が見えてしまいました。
いまさら、と思われることでしょうが、大スターです。
2016年に他界している「プリンス」です。
ツイッターでフォローしている方が、
『プリンスの言葉』という本を出していて、
それを読みはじめたらおもしろいおもしろい。
過去に「プリンスってなんだろう」と思ったのは、
We are the world」のドキュメンタリーのときでした。
プリンスは、あのレコーディングに登場しないのです。
しかし、スターたちやスタッフはとにかく彼を呼びたい。
スタジオに来させようと、策略めいたことまでして、
彼を仲間に入れようとしていたのでした。
そんな存在なのか、という驚きと興味はあったのですが、
本を読んで、映画「パープル・レイン」を観て、
次の映画もセットして…と、ただいま惹き込まれ中です。
ファンの人たちからしたら、呆れられそうですがね。
また、知らないで済んでたことを、知っちゃったなぁ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とにかく世界は、知らぬことばかり。それでいいのだけど。