藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

出口考(2)

*[七つの習慣]短期の目と長期の思考。

自分たちは「意味のない作業の繰り返し」には耐えられない。

シーシュポスの岩だ。(彼は何か悪いことをしたのだろう、くらいに思っていたが結構複雑なお話でした)

だから自分たちはどうしても「終わり」を探す。

辛い毎日を過ごす理由を探しがちだ。

「"終わりがある"と思えば耐えられる」ということを本能的に知っているからだ。

いきおい「終わり探しの旅」に出てしまうことになる。

終わりはどこ? どこなの? と。 

 

人生は実は有限だけれど「自分のこれから」には終わりはない、(と思っている)。

どの方向へ行くのかを「これから選ぶ」のは「これからの自分だから」だ。

もし次の一手、を変えれば「その先」は当然違ってくる。

 

終わりを考えることは、"作戦"としてはとても重要なのだが、「終わりの出口ありき」だけで日々を行動するのは、どうも正解ではなさそうだ。

大切なのは「出口」と"小さな成長"なのではないかと思う。

 

終わりを想像しながらも、毎日に小さな成長を見いだすようなメンタリティを持ちたい。

短期と長期のバランス感覚を意識したいと思う。