藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

原因は積み重なる

*[次の世代に]結果から分かること。

自分が初めて裁判の傍聴をしたのは二十年ほど前のことだったが、まるで他人のプライベートを覗き見しているようで驚いた覚えがある。

また実際の裁判の傍聴や面白い傍聴記などを読んでいると、そこには「ドラマかと見紛うようなリアルの様子」があり、考え込まされるようなものも多い。

他人の体験談を聞く場合、「果たして自分ならどうしただろうか」と考えるのは人間の性だと思うが、裁判はそんな「究極の状態」のダイジェストを見るような迫力がある。

果たして、被告席に立っている被告人と「同様の状況になったときの自分」は犯罪を犯さずにいられるのだろうか、と思うのだ。

そして恐らくそれは無理で、なぜならその被告人は「これまでの実にたくさんの出来事が積み重なった後で」やむなく(あるいは"思わずに")行為に至ってしまったということが多い。

例えば

「家族の介護や病人の看護が限界に達し、経済的にも行き詰まり、疲労が極致に達しての凶行だった」とか「エリートコースを歩んでいた人が、働き盛りでうつ病を発症してしまい、引き籠った末の心中未遂だった」とか。

そんな「犯罪に至る理由」を聞いていると、とても他人事とは思えない。

自分がいま被告席にいないのはたまたまの偶然かもしれない、いやそうだと思っておいた方がいいだろう。

自分や自分の周囲が「だんだんと良くない方向に行っている」と感じたら、一度立ち止まってこれまでのことを考えた方がいいと思う。

"良くない兆し"は、早めに掴めばなんとかできることもある。

 

「良くないセンサー」を働かせよう。