藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

親の心、最後の味方。

PC遠隔操作の事件は、「今のインターネット社会の個人とか、情報とかの意味は何か?」という観点から、特に技術面についてとても興味深く報道を見ていた。
遠隔操作の実際については、かなり複雑な技術的な仕掛けもあるようで、自分もまだ研究中だけれど、それにしても被告のご母堂の一言には打たれた。

ITなど関係のない、孔子の言葉を思い出した。

罪があったか。
社会に合わぬか。
人様に仇を為したか。
果たして償える所業か。

けれど。
けれどそんなことを(言ってしまえば)超越して、「受け入れる」のが肉親。
この原理は数千年変わっていないのだ、と思う。
わが子が盗みをしようとも。
わが親が狼藉を働こうとも。

それでも当人の側に無条件でいるのが肉親である。
弁護人もぜひ留任してもらいたいと思う。
過ちは、気付いた時点から償えるものだと思いたい。

「真犯人でも受け入れる」母の言葉に片山被告涙
読売新聞 5月20日(火)18時30分配信

片山被告が身柄を拘束された後、佐藤博史弁護士が東京・霞が関で記者会見し、片山被告から「先生たちを裏切ってしまった。弁護士を解任したい」と申し出があったが、拒否したことを明らかにした。

 20日朝、都内の佐藤弁護士の事務所を訪れた片山被告は、無罪主張を続けたことに「途中で引き返せなくなった」と話した。また電話で母親と話し、「真犯人でも受け入れる」などと言われると涙ぐんだという。

 佐藤弁護士は、片山被告の謝罪について「どこまで深刻に反省をしているのか分からない。見捨てることはしない」と話し、「被告が真犯人であることを前提に弁護したい」と述べた。