藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ブログに終わる2006。

why-newton2006-12-31

一番大きな変化。


ウェブ進化論」に出会い、「知的生産ツール」「一億総表現社会」という表現に接し、恐る恐る始めた今年の7月6日。



それからupし始めて、約80日ほど経つ。


近頃は一番「身近なメディア」で、自分の〝分身〟みたいになってきた。
(梅田さんも、「ウェブ人間論」の中で、同様のことを仰っていた)



日々、脳裏に浮かんだ疑問、身近に起きた出来事、目にした著作などから「思考のタネ」を探す。


「このネタは、ブログの中で育てるべきかな」などと考える。


逆に「ブログに挙がる」ハードルを越えられなかったテーマは、もっと「練りこみ」ができてから。


「思考」の舞台は、「脳内」から「ブログ上」へと移った。


自分を映す鏡。

思うに、ブログは自分自身の〝映し身〟のようなものだ。


そんな存在ができたので、生活までも変化した。


朝、夕。題材をもとに、考え出す。


論旨が定まったら、おもむろにup。


練りに練り込む、というより、手の趣くままに、広い話題に取り組んだ方が良さそうだ。


先人の、例えば、司馬遼太郎さん、糸川先生、newton、そんな人々にブログがったら、どんな使い方をしたのだろう。


あまり変わりなかったろうか。


ブログの「知的生産性」は、何か「備忘録の集成」以上の新たな「創造」をもたらすのか、2007年は、〝試しの年〟にできそうだ。


「自分の分身」と向き合い、語る。


来年の年末を楽しみにしたい。