藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

問うこと、と脳。

茂木健一郎さんのブログから一点。
茂木健一郎 クオリア日記: 聴くということの価値


「理科教育について」

問いを立てることと、欲望を持つことは同じことである。
なぜならば、どちらもその中を充足すべき空白をつくり出すから。
問題は、空白をつくり、それを育むことが大事であるということが、
世間では、あまり認識されていないことだ。(中略)


空白を抱きながら時を過ごすことの豊饒にもっと多くの人が気付けば。


『問いを立て』

『空白をつくり』

『それを育む』




ブログそのものだ。



「疑問のタネ」を見つけ、ブログ上にばら撒いておいて、思い思いに育てていく。
育ちの悪い種もあるし、急に豊かに伸びるものもある。



脳の臨床、の立場からも「良い効果」が確かめられるようだ。


また一つブログ綴りの動機ができた、などと思う。

脳の地図

という意味では、側頭葉のこの辺が論理を受け持つ、など脳の中のそれぞれの部位の役目、はあらかた分かっているようだ。


いろんな条件で被験者に考えさせ、どの部分が活性化しているかを計測した結果だ。


ただ、一番根っこの部分で、
「自分が立てた問いを育てるか、育てないか」つまり
「どんな場所(どこに)に問いを立てるか」ということについては、
脳はどこで決めているのだろう。

脳は、性質として「問いを育む」ことを悦ぶ。


ただ、どんな方向に力をいれて耕し、将来の「問いの森」を描くのだろう。


それはつまり「性格」とか「人間性そのもの」の気がするが、これらを導いているのはどこか。


少ーしづつ、脳の考える機能が見えてくるようだ。