知る人ぞ知る、累計読者数は一千万を超える、というから「超ブログ」。
(こういう人はアルファ・ブロガとは少し違うようだ)
先日「私家版・ユダヤ人文化論」で小林秀雄賞を受賞。
内田樹(うちだ たつる)氏。
現在、神戸女学院の教授であり、作家。
作家が自分の著作を徹底的にブログに上げている、という感じ。
何だかオソロしい勢いで著作が出ているので、何事かとびっくりしていたら、
「ブログに上げているもの」を素材に出版されているとのこと。
それにしても日々のこの量は圧巻だ。
内容は、本の素材になるくらいだから、どれもボリュームたっぷりで面白い。
最近は二日に一度以上の頻度でエントリされているので、何も考えずに「内田樹の研究室」だけを覗いて、「私はこう思う」と書いているだけでも充分自分のブログは一杯になってしまうだろう。
それは単なる内田ファン、なので特に心に残るエントリだけ記録させていただこう。
教育の本義
この一文に触れ、自分は心得違いをしていたかもしれぬ、と。
人生はミスマッチ - 内田樹の研究室
教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。
今の子どもたちが劇的に学びの意欲を失っているのは、教育する側の大人たちが「欲望」の語義を読み違えているからである。
現代の大人たちのほとんどは「子どもの欲望」もまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。
だから、「勉強すればいい学校に入れる」とか「練習すれば県大会に出られる」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。
だが、本来の教育の目的は勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させることである。
「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。
教師の仕事はだから「機嫌良く仕事をすること」に尽くされると私は思っている
「知識や技能」を「身につけること自体」が楽しいだろう?
機嫌よく、教師や親が笑顔で子供にそういうこと。
著者はそれがすべてだという。
著者の言う外形的なもの。
「地位や威信や情報」など。
「その先」に何があるかはともかく「学ぶこと自体」が楽しい。
「○○のために」。
そう言った途端、なんだか邪念が走るような気がしてきた。
ごちゃごちゃ言わずに。
そう伝えよう。