藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

「連続律」の要諦

うまく口で言えないのだが。






何か、ある。

自然は飛躍せず「連続」し、
積み重ねは「何か」を必ず産み、
考え抜くこと(構造化か)はそれらの「原資」となる。


何かが。

たったそれだけのことが、
風雪に耐え、
あらゆる「難問」を解き、
死線をくぐり抜けて生きていくための要諦かもしれない。


何か人生って辛いことばかりみたいだが、「幸せへのチケット」といってもいいのかも。


幸せの片道切符。(意味なし)


そんなことを考えると「その奥」に何か。


すべてに共通するような何か。


もっとも大事なものは何か


生きていく上で大事なもの


健康、とか
お金とか
うまいモノ
趣味とか
打ち込める仕事とか
彼氏彼女とか
家族とか
名誉とか
政治とか
権力とか
平和とか
車とか
ギャンブルとか
笑いとか


まあいろいろある。
が、ぐつぐつぐつと煎じせんじて、「煎じ詰め」れば。
何が残るのだろう。


もしこのエントリを読んでる人がいたら。
何でしょうか。


ちょっとだけ考えてみませんか。


一番「キモ」のファクタは何でしょか。生きてく上で。












それは「精神」じゃないかと。
なんじゃそれ、とお付き合いいただいた方、すみません。


何かくだらなそうだけどそんな風に思う。

すべての源


精神が大事である。
んなこと言ってるもうすぐ44歳は大丈夫か(危)


精神がすべてに優先する。


なぜか。

それは「精神」が我われの「行動」を決めるから。
上手く言えないが、コンピュータをどのように動かすか、を命令する「プログラム」みたいなものか。


つまり「身体」というハードウェアにたいするソフトウェア。


ではどんな「精神」か。

「何があっても考え抜くのだ」という不屈の精神、だ。


何か、ちょっと違うのである。
原因の芽、はたとえば「日曜の夜」*1
たとえば「入試失敗」
たとえば「ふられた」
たとえば「カネがない」
たとえば「淋しい」


すごくヘコむ。がそんな時こそ、

「考え抜かんとする精神」はその時「意識外」にある。


それを知って(意識できて)いると、何かに「つまづく」度に自動的に「考えること」が起動するようになる。

そして

何がいけなかったか。
失敗の原因は何か。
どんな「構造」だったか。


を言わば『後もどり』して追求する。そして

リカバリは可能か?


代案はないか?


再チャレンジは可能か?
その場合の「積み上げの手順」はどんなか?


再び失敗したらどうするか?

100%の結果保証など無いにせよ、そんな風に考えることは「ただ悩む」よりどれほど有益だろうか。
最近自分は日曜の夜、それなりに楽しくなってきた。

それが道を作り結果を出す


なんとなくだが。
そしてそんな風に考え考え考え抜いているうちに。


「勝機」は訪れる。


というか、そんな風に粘りぬいているから勝機を呼び込むのだ。
というか、それに達するまで「考え抜く」。
てか、意外に「その気」になると人って「割と冷静にいろいろ」考えるものだ。
不思議に。

つまり「考え抜く精神」は一番の「エネルギー源」なのだ。
鉄腕アトムの心臓のように、決して消えない命の源である。


・こんなことがあったね→ダメだったね。
・今度はこうしようか→またダメだったね。
・では別のやり方を→今度はどうだろう?

「点」で出来事を捉えるのではなく、「線」でつないで。
絶対に「途切れさせない」決意。


最近、なんとなくコツが分かってきたような気がする。
遅いけど。

*1:マンデーモーニングブルーなんていう。外人も週初めはイヤらしい。